-ラドゥの手術騒動:Victor Becaliの兄Joan:「ラドゥが最後に手術したのは8ヶ月前だ...」。しかし、ラツィオは信じず(06/21)




☆マルコ・バッロッタ(San Cesarioで現役続行中) (La Lazio siamo noi.it 06/21)
-「俺たちは今季のカンピオナートに勝利した。俺はGKとFWでプレイして、4ゴールを決めたよ。そのうち3ゴールはPKだけど」。 
-「(ヴェロンが引退について)いまさら?早過ぎ?(笑)アイツはいつも格の違いを見せていたな。最初から最後まで、どんなときも走っていた。アイツのような選手は他にはほとんどいないだろう。本当に特殊なタイプの選手だったね。冗談でやっているのか、怒ってやっているのか、全く理解できないことばかりだった。だから、こっちからしたらスルーしておいた方がいいのか、反応してやった方がいいのか、全くわからないんだよ。少し気難しい人間だったけれど、良い思い出しかないね」。 



☆ガビー・ムディンガイ(ボローニャ) (La Lazio siamo noi.it 06/21)
-「つい最近、ローマに帰ってラツィオのティフォージとも話をしたよ。彼らのことはいつも僕の心に残っているんだ。あそこでは本当に良い時間を過ごすことができたし、いまの自分があるのはラツィオのお陰だよ。僕は、ジョカトーレとしても人間としてもあそこで成長して、重要なカルチョの舞台に降り立つことができたんだ」。
-「ラツィオに加入した初日から、すべてが美しかった。ティフォージたちは、セリエBのトリノからやってきた僕のことなんて知らなかったはずなのに、すぐに拍手を送ってくれたんだ。僕は、ティフォージやラツィアーレの人々との強い絆を感じている」。
-「(ボローニャ移籍の際のこと)何も理解できなかったけれど、最終的には“何の問題もありません”と言った」。
-「ラツィオとの関係は今も素晴らしいものだよ。オリンピコでの試合では、いつもロッカールームに挨拶しに行っているしね。僕は、これはいろんな問題を飛び越えたものだと思っているんだ」。
-「デリオ・ロッシは僕がラツィオから去りたがっていたと話したようだね。少なくとも、周囲ではそのような話が出ていた。でも、それは真実じゃない。僕はロッシと話をしようとしたことなんてなかったんだけれど、その点が間違っていたのかもしれない。いったい、どうしてこうなったのかわからないよ。ボローニャに移籍する2週間前、ロティートは僕がメルカートには出ていないことを示してくれた。そして、契約更新についても話していた。それなのに、突如としてクラブから“君は去らなければならない”と言われたんだ。あの頃の僕はまだ若くて、何も話さなくても信じてしまっていたんだ」。 



☆マッシモ・オッド (La Lazio siamo noi.it 06/22)
-「現役は引退するけれど、これでカルチョの世界とさよならするってわけじゃない。実際のところは、まだプレイしていたいという気持ちもあるよ。でも、プレイするのなら正しいモチベーションを見つけなきゃいけない。それはもう難しいから、引退することにしたんだ」。
-「僕のキャリアの中で、最も美しかったシーズンは数多くある。良い選手になるまでのオッド、良い選手になったあとのオッドは区別しなきゃいけないよ。僕がこうして成長できたのはラツィオのお陰だし、ラツィオだけに感謝している。僕を形成してくれたのは彼らなんだ。あそこでは、たくさんの困難とたくさんの感動の月日を過ごすことができた。ミラノでは本当に多くの勝利を収めることができたけれど、ローマでの冒険の方が美しいものだったね。ラツィオに加入して最初の数ヶ月は大きな困難にぶち当たって、1月にはラツィオは僕をヴァレンシアに放出しようとしていた。でも、トリノでのユーヴェ戦から、マンチーニは僕を起用してくれるようになったんだ。あの頃のことも本当にたくさんの記憶がある。ロンゴ、マンツィーニ、用具係、忘れた人なんて一人もいないよ。偉大なスタッフと共に形成された偉大なグループだったんだから」。



☆マッシモ・オッド (La Lazio siamo noi.it 06/28)
-「(ディアキテについて)大きく成長したし、彼に期待を寄せているラツィオは賢明だね。彼がラツィオにやってきた初年度のことはいまも覚えているよ。彼は、良いクオリティと大きな将来性を持った面白い選手だった。それから、年々大きく改善されてきたね。でも、まだまだ大きな改善の余地があると思う。彼はきっと、ラツィオが狙いを定めることのできる選手だ」。
-「ラツィオは、人間的な面でも、僕に多くのものを与えてくれたし、最も良い関係を保つことのできたクラブだ。ティフォージとも本当に美しい関係を築くことができたね」。
-「最高の思い出は、コッパ・イタリアの勝利だね。あれは最も美しい思い出の一つだ」。