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Lazio | Ciao Milinkovic,輝きの8年間:ノスタルジアの涙(La Lazio siamo noi.it)
2015年7月26日、この時すでにミリンコヴィッチとラツィオのストーリーはスペシャルなものだった。彼はこの時、フィオレンティーナへの移籍が運命づけられたゲンクの選手だった。まもなく契約にサインをというとき、20歳の少年は「サインはできない。僕はラツィオと話をして答えたんだ…」と涙を流すことになる。デ・グレゴリが言うように、人々がまだ愛や怒りでプレイしていた時代、モーターが登場する前のストーリー。ミリンコヴィッチはラツィオで愛を見つけた。一言たりとも問題を起こさず、メルカートに関連した気まぐれな騒動も一度もなかった。素晴らしい8年間。さらなる契約更新は実現しなかったが、クラブや環境との固い絆により、契約満了まで1年であるにも関わらずビアンコチェレステはおよそ4000万ユーロを回収にすることができた。
・胸にアークィラを刻む男となる少年、ミリンコヴィッチ
フィオレンティーナがミリンコヴィッチとのサインに失敗した数日後、彼はフィウミチーノに到着した。ラツィオのスカーフを首に巻かれた少年は、生き生きとした目で自身のキャリアにとって最も重要な冒険に乗り出す決意を示していた。空港では、U-20ワールドカップでのパフォーマンスに感銘を受けた600人のティフォージが出迎えた。セルゲイはローマでsergente(軍曹)となり、世界最高のMFとなった。正式には副カピターノを務めるチームの原動力だが、実際にはインモービレと並ぶ議論の余地のないリーダーであった。彼はヴェロンやネドヴェドのようなフェノーメノ、W杯最多得点記録を持つクローゼのようなカルチョ界のレジェンドよりも優れた、ラツィオにおける外国籍選手最多得点をマークした。サウジアラビアに着陸したため、イタリアの他のクラブのユニフォームを着ることもない。ミリンコヴィッチの名がセリエAで結び付けられているクラブは、唯一ラツィオだけだ。
・ミリンコヴィッチのラツィオ:チャンピオンズからチャンピオンズへ
ピオリと共に臨んだチャンピオンズ予備予選の夏にラツィオへ到着したミリンコヴィッチは、サッリ監督率いるチームがチャンピオンズ本戦出場を得ると同時にラツィオに別れを告げた。インザーギとは3つのタイトルを獲得した。2017年8月のユヴェントスとのスーペルコッパ・イタリアーナ、2019年5月のアタランタとのコッパ・イタリア、そして、2019年12月、彼の次の目的地となるリヤドでのユヴェントスとのスーペルコッパ(アル・ヒラルの本拠地)。成績を見ると、セルゲイは第二のFWのようなものだった。2つのシーズン(2017/18, 2021/22)における二桁得点を含む57得点49アシスト。インモービレとの相性も抜群だった。sergenteはあらゆる偉大な相手にゴールを決めた。偉大な選手は常に足跡を残すものであり、これからポストミリンコヴィッチが始まることになる。だが、あの2002年8月31日から(※)、我々はどんな移籍も怖くはない。そして、ミリンコヴィッチとラツィオの素晴らしいストーリーは、決して色褪せることはない。
(※メルカート最終日にネスタがミラン、クレスポがインテルへ移籍した)