・レヤ:ティフォージとの対談において、ブレーキ:「辞任が取り消し不可能とは言っていない」。(La Lazio siamo noi.it 11:43)
ティフォージとの面談を終えたレヤ監督は、Skyのマイクに向けて、ノルドの人間との話し合いの中で“辞任は取り消し不可能”とは決して口にしなかったことを断言した。昨日までは決断を曲げる気配のなかったレヤ監督だが、ティフォージによって示された愛情に心を動かされたのかもしれない。



・レヤ問題:ジョルダーノ氏「シュールな状況だ...私がラツィオに?大きなチャンスだね」。
・レヤ問題:ゼーマン監督「私がラツィオへ?今日、私はペスカーラにいる」。
・レヤ問題:ディッポリト代理人「レデスマはレヤが考えを改めることを望んでいる...」。



・新監督候補:ロティートは元ラツィアーレを模索:ディ・マッテオ、カシラギ、ジョルダーノ?(La Lazio siamo noi.itによるCorriere dello Sportの記事まとめ)
-爆弾はセットされた。レヤのビアンコチェレステカラーの歴史は、アトレティコ・マドリードとの試合で終わることになるだろう。ロティートは後任を任命するのが待ちきれない状態にある。チームとティフォージはレヤとの結婚の継続を望んでいたが、涙の結末は既に見えているようだ。
-後任候補:昨日、すぐに名前が浮上したタッソッティは最も魅力的なオプションとなっている。
-ミハイロヴィッチ:すぐにラツィオに到着することはできないが、今シーズンいっぱいはマルコリンが代理としてラツィオを率いた上で、新シーズンからシニサがやってくるかもしれない。
-ディ・マッテオ:チェルシーの助監督を務めている。高年俸のため、実行可能な道ではなさそうだ。
-Thomas Doll:最新の状況で名前が浮上。
-エリクソン、カシラギ:ラツィオに復帰という仮説。
-ジョルダーノ:選択肢として浮上する可能性。
-その他:ゼンガ、デ・カーニオの名前についても触れられている。
-ボッリーニ(プリマヴェーラ):アトレティコ・マドリード戦後にレヤが辞任した場合、暫定監督としてクラブを率いると見られている。
-デル・ネーリ:仮説。他の人物たちと比較して、ビアンコチェレステティフォージに微笑みをもたらすことができるだろう。
-シモーネ・インザーギ:経験不足。ボッリーニかクリアレージと共にベンチに置く必要があるが、意見は調和していないため、現時点では新監督騒動には含まれていない。
-6月に新監督を迎えて、完全なプロジェクトを作ってスタートする案:マッザーリ、ピオリ、モンテッラ。




☆シモーネ・デル・ネーロ(チェゼーナへレンタル移籍) (La Lazio siamo noi.it 02/02)
-「僕はいつだって、必要とされる瞬間に備えて用意ができていることを証明するために、最大のモノを与えてきた。僕のプロ意識に対しては、誰も口出しすることはできない」。
-「初年度は、もしもケガがなくて試合に出ることができていれば、もっと多くのモノを与えることができたはずだ...」。
-「僕のローマでの冒険は終わった。ここにはもう僕の居場所はなかった。だから、ジョカトーレとしての自分の立場を考えて、メルカート締切間際にクラブから去ることに決めたんだ。クラブはもう僕をアテにしていなかったし、僕のこの選択はすべての面にとって最高のものだったと思っているよ。僕は、“もう終わったジョカトーレ”じゃないってことを人々に証明するつもりだ」。
-「ローマでは本当に快適に過ごすことができたし、大きな思い出が残っている。ここから去るは本当に辛いし、苦しみも残っているけれど、根はここに置いていくよ。ここでは、トンマーゾ・ロッキをはじめとする全ての人たちと、素晴らしい友好を築くことができた」。




☆アルベリト・ボッリーニ監督(プリマヴェーラ) インタビュー(La Lazio siamo noi.it 02/13)
1999年から2003年までフォルメッロに在籍していたボッリーニ監督にとって、ガッツィ、ピンツィ、ドミッツィが現在のセリエAでプレイしていることは財産だろう。あれから7年が経過したあと、ボッリーニは再びローマに戻ってきた。そして、今シーズンはロッツィ、ザンパ、クレシェンツィといった若手をステップアップさせようとしている。ボッリーニ監督が、Corriere dello Sportに対して口を開いた。



-7年の時を経て、どのようにしてラツィオに戻ることになったのでしょう?
「2010年7月半ばに、ターレから呼び出されたんだ。予想外の楽しい展開だったね。それから、ロティート会長と話し合って、彼は私に期待を寄せてくれた。その後はすべてがすぐに進み、キャンプに向けて出発したんだ...」



-1999年から2003年のラツィオ:最初のサイクルについて聞かせてください。
「あの頃のラツィオには多くカンピオーネが在籍していた。2000年にトップチームがスクデットを獲得し、翌年にはプリマヴェーラがスクデットを手に入れた。トップチームとプリマヴェーラは、全く異なる現実を持っていたよ。トップチームは投資によって出来上がった多国籍軍だったが、我々のグループはロマーニによって形成されていたんだ。ピンツィとピザーノは1年のみでプリマヴェーラから去ってしまったが、あの歴史の核はドミッツィ、ミニエリ、オラ、ルチアーニ、ヴァッリアーレ、ヴォルペ、ルッジュ、ベッレットーニによって作られた。そして、1月には移籍金ゼロでエミリアからフォスキーニとダル・リオを獲得したんだ。彼ら全員とはいまも連絡を取っているよ。スクデットを取った翌シーズンは、エヴァークオ、ガッツィ、レ・ノーチが台頭し、レギュラーシーズンは無敗で終えた。コッパ・イタリアでも決勝に進出し、すぐに新たなサイクルを開いたのだが、パッツィーニ、ビアンキ、モントリーヴォ、パドイン、カニーニ擁するアタランタに敗北してしまった」



-ドミッツィとガッツィについて:彼らのキャリアには驚いていますか?それとも、期待通りだと思っていますか?
「ドミッツィは、全くスペースを見つけることができないままセリエCでの経験を終えて帰ってきた。彼にとっての下部組織での最後のシーズン、我々はたくさん話し合ったよ。彼は3バックのセンター、左メディアーノ、左FWでプレイしていた。彼には大きな柔軟性があったね。それから、ガッツィは長年細部のケガに苦しまされていた。だが、彼らは厳格な労働者としての才能を持った選手だった。彼らは頑固さによってセリエAに到達できたのだろう」


-現在、我々はチェッカレッリやカヴァンダに偉大な夢を抱いています...
「昨シーズン、チェッカレッリは戦術的にもフィジカル的にも大きく成熟した。今年は強さと継続性も手に入れたし、彼のようなタレントは他には存在していないと思うよ。トンマーゾが力を試すために出て行くことを望んだのは当然のことだ。彼には日々の積み重ねと忍耐の大事さを話したよ。彼は我々に多くのモノを与えてくれたが、同時にラツィオも彼に多くのモノを与えてきたんだ。カヴァンダはプロで火傷してしまったが、再び這い上がってレヤからの信頼を手に入れたし、あと必要なのは保証だけとなっている。カヴァンダは評価を安定させるために出て行ったんだよ。彼は良い選手だが、継続性が欠けていたからね。彼らが確かな成熟のために、経験を積んでくれるよう望んでいる」



-レヤとの関係は?
「ファンタスティコ。レヤは非常に丁寧で、慎重に仕事をする人間だ。彼とは、仕事やチームコントロールの方法以外にも、若手の台頭について話している。彼は非常に厚みのある人間だよ」



-若手の台頭:ザンパとロッツィ...
「彼らは私にとって最高の満足感だよ。今後も、下部組織からエンリコやアントニオのようなlazialissimiを持った少年たちが出て来たら最高だね」



-ラツィオ、サンプ、フィオレンティーナは多くの若手を育ててきた:表彰台はどのクラブでしょう?
「表彰台など存在しない。才能について話すとしたら、まず真っ先にFWのことを考えることになるだろう。ラツィオのチネッリには驚異的な何かがあったが、性格面が欠けていたために価値を爆発させることができなかった。フィオレンティーナのLepillerについても、同じことだろう。あとは、ベッレットーニやマリルンゴもだね。すべての監督が率いたいであろう選手は、サンプドリアのコマンだ。彼は多くのポジションをこなすことができる選手で、常に学びたいという願望を持っていた。本当に個性のある選手だったね」



-これからの目標は?
「将来に向けて、92年組は可能性に値していると思う。復帰が待たれているOnaziとクレシェンツィ、それからバッレートも偉大な地点に到達した。バッレートは家族の深刻な問題を経て、ジョカトーレとしての成熟を完了したね」




-ラツィオオフィシャルサイトより:ホンダ獲得のためにCSKAに提示した条件は1300万ユーロの3回分割払い+カリーソ(02/02)
-カターニャへレンタル移籍のカリーソ:「ラツィオ残留になることを恐れていた...」。(02/02)
-ミラン戦後:マウリ「信じがたい試合!グランデ!」...エルナネス「ゴールはティフォージに捧げる」。
-ミラン戦後-レヤ監督:「我々はクローゼ次第ではない...これらの選手たちと共に完全な試合を行う必要がある。苦さはターレだけのモノで、我々は楽しい1年を過ごすことができるはずだ」。
-ミラン戦にて:クルヴァ・ノルドからロティートへ「スタジアムから出て行け!」-ターレへ「ロティートの下僕」。



☆イリ・ターレDS (La Lazio siamo noi.it)
-「(ミラン戦の出場の合否に関して)クローゼと喧嘩した?それは全くのデタラメだ。何も喧嘩していないよ。彼と私はずっと前からの知り合いだし、彼と喧嘩したことはない」。
-「(メルカートについて)我々は重要なメルカートにするという義務のために行動した。そして、我々はホンダに向けて非常に重要なオファーを出したのだが、CSKAは最後までオファーに納得せず、結局合意することはできなかったんだ。その後、我々はニウマール獲得を試みたが、日付は既にメルカート最終日だった。交渉にはEU外登録枠も関係していたし、残された時間はあまりにも短かった」。
-「グアリンは我々の標的だった。夏から追跡していたのだが、ポルトの要求はあまりにも高かったんだ。ユーヴェにはグアリンを迎えに行く準備ができていなかったことがわかって、それから我々も獲得に乗り出したんだけれどね。彼は我々が求めていた選手像にピッタリだったし、日曜日から獲得に動いていた」。



☆エディー・レヤ監督(ミラン戦後) (La Lazio siamo noi.it)
-「私はあらゆる状況に対応できる戦力を持っている。我々はケガで不在となっている選手のために歯を食いしばって、最大限のモノを与えようとしているよ...でも、どこに到達することができるかはわからない。残念ながら、メルカートにおけるいくつかの交渉は実現しなかったからね」。
-「中盤に関しては、ほとんど選択肢がない。残念だが、ケガ人がいつ復帰するかもわからない状況だ。ただ、カンドレーヴァはすぐに起用できるし、メッザーラでもトレクァルティスタでも選択肢になることができるだろう」。



☆アントニオ・カンドレーヴァ(ミラン戦後) (La Lazio siamo noi.it)
-「僕らは偉大なクラブを相手に最高の試合をした。後半に入って、素晴らしい結果を得るためのチャンスを掴むことができたね。僕に対してはブーイングもあったけれど、一日ずつ認めてもらいたい。いま、僕はすごく幸せな気分だよ。ラツィオのティフォージへの疑いはないし、ブーイングを拍手に変えたいね。ホームの選手としてオリンピコのピッチに立つということは、不思議な気分だったよ」。
-「(ティフォージはブーイングで迎えたが、チームメイトは彼を歓迎した)皆は快く歓迎してくれた。ロッキのことは北京でのオリンピックの時から知っているんだ。彼は最高の人間だね。良い励ましをくれたよ」。



☆アントニオ・ロッツィ(ミラン戦後) (La Lazio siamo noi.it)
-「デビューは最高の気分だった。6歳の頃にラツィオの下部組織に入団して、長い間この瞬間を待っていたからね。このまま続けていけるよう望んでいるよ」。
-「80分頃からアップを始めて、呼び出しを待っていた。リードを広げた瞬間は本当に幸せだったね。あれで、僕が投入される可能性は大きくなったと思う。セードルフを目の前にしたときは変な感覚だった」。
-「自分のユニフォームはすぐに大事に壁に掛けたよ。ザンパと同じで洗うことなくね。誰にもあげたりはしないさ」。
-「感情は言い表せなかった。今もまだ信じられないよ。6歳のころから夢見てきたんだから」。
-「(セードルフとの接触について)奇妙な感覚だった。彼のようなカンピオーネと接触したとは思えなかったよ」。
-「(ティフォージから拍手で迎えられたことについて)素晴らしい歓迎だった。彼らは、最も穏やかな状態でプレイさせようとしてくれたね」。
-「グループも最高だったよ。試合終了直後、ミステルのレヤが賛辞を送ってくれたんだ」。
-「ラツィオのユニフォームは僕を幸せにしてくれた。このユニフォームを着ることは最も素晴らしいことだ。このユニフォームは洗濯しないよ」。
-「(デビューの夜を終えて)夢、でも僕にとってはスタートに過ぎない」。