☆クラウディオ・ロティート会長 (La Lazio siamo noi.it 10/22)
-「エルナネスの価格?彼はメルカートには出ていないし、問題はない。狂ったオファーが届いたら?我々はそのようなオファーは必要としていないし、心配はしていない」。



☆アルバーノ・ビサーリ (La Lazio siamo noi.it 10/22)
-「カターニャでは美しい時期を過ごすことができた。多くの試合に出場して、たくさんの階段を登ることができたからね。カターニャでは本当に美しい環境を見つけることができたんだけれど、ラツィオを拒否することはできなかった。ローマには多くの競争があったけれど、それを恐れたりはしなかったね。とにかく常に準備をして、あらゆる可能性を模索しているよ。将来?いずれわかるだろう。いまは、この瞬間とこの美しいチームを楽しんでいる...」。



・ロシアの企業とのメインスポンサー契約合意が近づく(La Lazio siamo noi.it 10/22)
-Messaggeroによると、ロティート会長の下にはロシアからメインスポンサーのオファーが届いたようだ。オファー内容は年間300-400万ユーロで、ビアンコチェレステと企業側の接触は現在も続けられていると伝えられている。




☆クラウディオ・ロティート会長 ミラン戦後(La Lazio siamo noi.it 10/21)
-「アークィラは高く飛んでいるが、我々は地に足をつけなければならない。今年のチームは、格下のチーム相手にしっかりと勝利を収めていることからもわかるように、精神的に大きくなった。今日は偉大なクラブ相手にも勝利を収めることができたし、我々はこの道を歩み続けなければならない」。



☆ペトコヴィッチ監督 ミラン戦後(La Lazio siamo noi.it 10/21)
-「我々は、もっと偉大なチームになるために90分間の継続性を持たなければならない」。
-「我々が疲れを見せ始めプレイすることをやめてしまった途端に、ミランが息を吹き返してきて、困惑してしまった。でも、勝ち点3を手にしたことが重要だ」。
-「ゴンザレス?決して疲れることのないフィジカルを持っているね」。



☆アルバーノ・ビサーリ ミラン戦後(La Lazio siamo noi.it 10/21)
-「まさか試合に出ることになるとは思ってもいなかった。突然、試合出場を告げられて、驚きながら試合に入るのは簡単じゃなかった」。
-「この勝利はすぐに忘れる必要がある。僕らは、勝利に対して常に飢えていなければいけないんだ」。



☆ジュゼッペ・ビアーヴァ ミラン戦後(La Lazio siamo noi.it 10/21)
-「3-1までの僕らは完璧だったけれど、2失点目で少し怖さを感じたよ。でも、勝ち点3を確保できたことは重要だ」。
-「僕らは順位表は見ていない。目の前の試合に最大のモノを与えることだけを考えなきゃいけないしね」。



☆アントニオ・カンドレーヴァ ミラン戦後(La Lazio siamo noi.it 10/21)
-「終盤は危険もあったけれど、僕らが良い試合をしたことは明白だ」。



☆エルナネス ミラン戦後(La Lazio siamo noi.it 10/21)
-「CL?僕らはミスから学び、うまくやっている。これを続けることができるのならば、目標に到達することできるだろう」。
-「ブラジル代表?Menezは僕のことを知っているし、僕は働き続けるだけだ。僕は彼のためだけにプレイしているわけじゃない。家族のため、チームのためにプレイしている。このゴールは、ブラジルで生まれた甥に捧げるよ」。



☆GKアメーリア(ミラン) (La Lazio siamo noi.it 10/21)
「アントニオに賛辞を贈りたい。あのシュートは枠外に行くと思っていた...」。




☆Streccioni氏(カンドレーヴァがロディジャーニに在籍していた頃の監督) (La Lazio siamo noi.it 10/16)
-「私は、彼が11歳から13歳になるまでの間に指導していた。その後、私はラツィオに向かい、彼は2年間ロディジャーニに残ったあとに、16歳でテルナーナへ向かった」。
-「私は2001/02にラツィオに到着した。そのとき、アントニオは14,15歳だったね。ロディジャーニからは多くの有望な若手がラツィオとローマに流れていた。そこで、私はアントニオをラツィオにもたらすべく、すぐに動き、ランバウディとも話をしたよ。でも、あの頃はクラニョッティ時代の終焉の時期で、財政的にも陰りが見え始めていたため、投資はできるだけ避けるようになっていた。それでも、当時のプリマヴェーラはVolfango(・パタルーカ=ネスタやディ・ヴァイオを発掘した人物)責任者と共に、マケダやガッツィといった補強を行っていたし、私はとにかくカンドレーヴァを連れて来ることを望んでいたのだけれど、叶わなかったね」。



☆グリエルモ・アクリ氏 (La Lazio siamo noi.it 10/12)
-「2009/10のこと。電話が鳴り、パブロ・アルメロの移籍を提案された。パルメイラスに在籍していた頃のアルメロの移籍金は200万ユーロほどだったし、大きなお買い得品だった」。
-「当時、私はロティート会長のアドバイザーを務めていた。私は主に選手放出の交渉を担っていたのだが、会長にはアルメロの獲得を提案したよ。でも、EU外登録枠の問題があった」。




-プランデッリ監督:「マルケッティ?考慮している」。(10/22)
-ノヴェッリーノ氏:「ビアンコチェレステには感銘を受けたよ...ペトコヴィッチ監督は素晴らしい安定感をもたらした」。(10/22)
-クレスポ:「すべての人々がゼーマンのことを話しているなか、ペトコヴィッチは周囲を驚かせた」。(10/20)
-クローゼ:「ナポリ戦でハンドを告白しなかったら結果は変わっていた?そうだろう。でも興味はない...」。(10/17)
-コリンチャンスの監督:「パウリーニョはここでプレイし、代表に選ばれた。エルナネスは欧州に行き、代表から消えた...」。(10/17)