☆ディノ・ゾフ氏 インタビュー(Repubblica)
−このラツィオはアークィラであるにも関わらず、低空飛行しなければならないようです。これは真実なのでしょうか?
「Si、そのように考えて戦った方が良いだろう。8月の時点では、誰もラツィオが上位に進出するとは考えていなかった。現在、私はラツィオにはCL出場権獲得の可能性があると信じている。いまのところスクデットは妄想に過ぎないね」



−最も決定的な選手は?
「マウリであることに疑いはない。彼が代表に招集されたのは偶然じゃないよ」



−エルナネスもいますが?
「彼は確かに驚異的な選手だし、偉大な才能を持っている。でも、今の時点でカカーと比較するのは重荷になるかもしれない」



−守備陣は?
「ディアスには感銘を受けたよ。でも、彼は昨シーズンから既に力を証明していたね。ラツィオの守備陣は彼だけじゃないし、全員がよくまとまっているね」



☆エディー・レヤ監督
「脚光を浴びるのはとても遅くなったが、残念には思っていないよ。若い頃は妥協を受け入れることのできない人間だった。 私がラツィオに到着したときのこと?すべての人が同じ方向を見ていないのであれば、何一つ上手くは行かないものだ。春の頃、ラツィオはクラブ内外において絶望的な状況にあった。あの状況を脱出することは簡単じゃなかったよ。何とかグループを団結させることに成功して調子を取り戻したが、本当に容易なものではなかったね」(Gazzetta dello Sport)



☆シモーネ・インザーギ監督
「ロティートとターレは大きなメルカートを展開し、強いチームを形成した。だから、このスタートには驚いていないよ。まだ6節で首位に立っただけだし、これからも低姿勢を保つ必要はあるけれど、僕らはこの結果に値している。20試合後もこの位置にいられることに期待しよう。 このチームはどのクラブとも対等に戦うことのできる力を持っている。あとは、どういう姿勢で過ごすべきなのかを知るだけだよ」(Repubblica.it)



☆エルナネス
「僕は、常にゴールに繋がるプレイを見せるという責任を持ってプレイしなければいけない。FWに重要なチャンスを作って、試合に質をもたらさなきゃいけないんだ。僕の仕事はこれだ」(La Lazio siamo noi.it)


 
☆フェルナンド・コウト(スポルティング・ブラガのDS)
「首位に立つラツィオを再び目にすることは本当に最高だね。ラツィオの試合はすべて見ているわけではないけれど、クラブや戦力の価値は知っている。 ラツィオの守備陣?個人の名前を出したくはないけれど、世界的な価値を持った選手たちが揃っているね。アンドレ・ディアス、ラドゥ、リヒトシュタイナーのような絶対的なレベルにある選手がいる。失点が少ないことは偶然のことじゃないよ。これからも安定して成長できるのであれば、ラツィオは蘇ることができるかもしれない」(Il Messaggero)



☆マルコ・ヴァレンティーニDS
「フロッカーリ?彼との歴史はあまり長くない。2004-2005シーズンにレッジーナのDSを務めていた頃、私は彼のパフォーマンスに強い印象を受けていた。そして、その翌年になってから私は彼をリミニからメッシーナに引き抜いたんだ。フロッカーリは犠牲的精神を持った金のような男だ。彼には素晴らしい身体能力とテクニックがあるが、常に向上するために働いている。私から見れば完璧な選手だね。メッシーナ時代、私が彼を獲得したことに関して多くの批判を受けたことは残念だったよ。私はずっとフロッカーリが代表に選ばれることを期待して待っていた。この代表入りは、下部リーグからステップアップしてきた彼への正しいご褒美だろう」(La Lazio siamo noi.it)



☆ロレンツォ・デ・シルヴェストリ(フィオレンティーナ)
「ラツィオが首位に立っていることには驚いていないよ。ビアンコチェレステティフォージのことを思うと幸せだね。彼らができる限り長い間この位置で持ちこたえることができるよう望んでいるよ」(Ansa)



☆アントニオ・フィリッピーニ(ブレシア) インタビュー(La Lazio siamo noi.it) 
-「レヤとはブレシア時代に一緒だった。彼はチームにモチベーションを与えることのできる監督だ。バランスを保つのも上手いし、選手とは常に良い関係を築いていたね」。
-「運命を共にしてきたエマヌエレは引退して、僕は現役を続けている?エマヌエレはこれからもプレイするためにイタリアを周ることは望まなかった。そして、彼は監督のキャリアをスタートさせた。彼はこの選択に満足していると言っていたし、楽しく過ごしているみたいだよ。その一方で、僕の願望はブレシアに戻って、このユニフォームでキャリアを終えることだった。だから、僕もここにいることができて満足しているよ」。
-「2004-2005シーズン、僕らはレンタルでラツィオに移籍した。僕らは3-4年くらいあそこに残ることを望んでいたけれど、残念ながらロティート会長は僕らとは良い関係を築けなかった。だから、またチームを変更することを強いられたんだ。あのままローマに住み続けたかったよ。すべてが見事なものだったからね。ロティート以外のラツィオすべてが僕らとの別れを望まなかったことは、最も大きな残念だね」。
-「1月6日のデルビー?あの試合は男同士の戦いだった。相手にボールが渡れば、常に激しく襲い掛かったよ。でも、僕らはこれまでのキャリアでは誰にも大怪我を負わせたことはない」。