☆ロベルト・バローニオ インタビュー(Noibiancocelesti.net)
-「昨シーズンは継続的にプレイできたし、僕個人としてはうまく行っていた。それから、監督が交代して僕は除外された。レヤはレデスマを復帰させたんだ。このような結果になった責任は僕だけのものではないと思う。レヤ監督は僕よりも守備的な選手を欲しがって、このようなテクニカルな選択を下したんだ。プレイしていたとき、僕は拍手を浴びていた。だから、最後の試合でも拍手を期待していたんだれけど、そうは行かなかった。最後の数ヶ月間、僕はチームから外されても監督やチームとのトラブルは起こさずに、プロ意識を持ってトレーニングに励んでいた。試合ではベンチからチームメイトを鼓舞していたつもりだよ。3日おきにプレイしていた僕に対して、バッラルディーニ監督が休暇を提案してきたことがあった。でも、僕はあのときのチームの不調を上向かせることに貢献したかったからそれを断った。いつも試合終了後には、本当に疲れ果てていたよ。でも、大きなケガをしていたわけでもなかったし、何とか継続的にプレイできていた。僕の調子が落ち始めた途端、チーム全体のパフォーマンスも低下したことは明白だっただろう。以前、僕のことを非難していたジャーナリストなどは僕の良いパフォーマンスを認めていた。このような評価は、チームの敗北にも関わらず僕にとっては喜ばしいものだったし、刺激にもなっていた」。
-「除外されている選手たちのこと?昨シーズンはレギュラーとしてプレイすることができたけれど、その前年までは僕も『除外』されていた。ただ、除外されている選手たちがロッカールーム内に問題を起こすことがなかったことはハッキリさせておきたいね。クラブ側から提案された移籍先を受け入れる必要性は存在していない。オファーが到着したらラツィオと共に考える必要はあるけれど、必ずしも移籍を受け入れる必要性はないんだよ...チームに40人もの選手がいるのは、選手の責任じゃない...本当の問題は、このような選手たちの状況に関する正しい説明がなされていないことだ。新聞では、本当かどうかわからない話ばかりが出回っている。きっと、彼らはいくつかのオファーを拒否したのだろうけれど、彼らもレガ・プロなどの下部リーグからのオファーを受け入れるべきかどうかはしっかりと考えた上で選択を下したはずだ...僕はプレイするために小さなクラブへ行き、減俸も受け入れた。でも、すべての選手たちが僕と同じように考えているわけではないし、僕は彼らの選んだ道を尊重するよ」。
-バローニオには1月にボローニャ移籍の可能性があった。この際にボローニャから提示された条件は、ラツィオでの条件とほぼ同じものだった:「クラブに対してはラツィオでの生活を続けたいという願望を伝えた。それから、僕は会長に対して契約を延長しないのであればボローニャに向かうという考えも伝えた。会長は『お互いに良い関係にあるし、すべてを具体化させよう』と言ってくれたけれど、シーズンが終わっても契約は更新されなかった...そして、僕は未だに所属チームがない状態さ!」。
-バローニオにとって最も良い思い出と最も酷い思い出は何だろうか?:「最も美しい思い出は、継続的にプレイできた昨シーズンのことだね。偉大なクラブでプレイできたのは最高だった。最も酷いシーズンは、ペルージャ時代にプリマヴェーラでプレイさせられたときのことだ。ペルージャではチーム全員での夕食会にも招待されなかったよ。どうしてガウッチが僕とアモルーゾにあのようなことをしたのか理解できないね」。
-バローニオのキャリアにおける最高の監督とは:「人間的に最高の監督と言えるのはコロンバ、コスミ、エリクソンだね。逆に、最も頭が良いのはデリオ・ロッシかな。ロッシが求めるカルチョでは、僕は決してプレイすることはできなかったし、人間的なレベルでは全くソリが合わなかったけれどね。あと、代表でリッピと共に1週間トレーニングしたときには、彼の賢さにビックリしたよ。僕はキエーヴォでの2年間を経て代表に到達し、ラツィオでさらに飛躍しようとしていた。でも、デリオ・ロッシが到着したことで、僕は二度と最大限の力を発揮することはできなくなった」。
-バローニオは首都の第3のクラブに到着することになるかもしれない:「アトレティコ・ローマでトレーニングしている。僕にこのような機会を与えてくれたクラブには感謝しているよ。僕にとっては難しい瞬間だし、幸せとは言えない状況にある。家族の支えだけで何とかやれている感じだよ。アトレティコ・ローマ入りを受け入れる可能性はあるけれど、僕は数ヶ月前までラツィオでレギュラーとして、カピターノとしてプレイしていた...」。



☆ガビー・ムディンガイ(ボローニャ) インタビュー(La Lazio siamo noi.it)
−最近のインタビューにて、君はラツィアーレからの拍手にブレーキをかけられたと語った。
「あれは、ローマティフォージからのブーイングとラツィアーレティフォージからの拍手なら、どっちが影響を受けるかっていう質問から生まれた答えだ。この質問に対して、僕はラツィアーレからの美しい歓迎、ラツィアーレからの愛情には少し戸惑ったと答えたんだ」 



−ポルタノーヴァやディ・ヴァイオとラツィオについて話すことはあるのかな?
「しょっちゅうだね」



−日曜日の試合では、君がブレーキをかけられてボローニャが10人の状態になるよう、クルヴァ・ノルドは様々な罠を仕掛けてくるはずだ。
「アハハ(笑)、ラツィオのすべてのティフォージに挨拶したい。ローマでは忘れられない3年間を過ごすことができたし、彼らには感謝しているよ」



☆ディエゴ・シメオネ
「今は穏やかにカルチョを観戦している。まだ充電中だけれど、すぐに復帰するつもりだよ。俺はこの4年間でアルゼンチンの4つの重要なクラブのベンチで過ごした。 これからも監督として成長していきたいね。これからは監督としてのキャリアにとって決定的な結果を見つけたいと思っている。自分がプレイしたチーム、つまりラツィオを率いたい。ビアンコチェレステの人々は俺に多くのモノを与えてくれたし、ローマで過ごした人生は非常に美しいものだったんだ。インテルならば強力な選手たちと共に戦うことができるけれど、ラツィオと共により重要な何かを達成できたら良いね。俺は、いつの日にかラツィオを率いるときが来ると信じている」(La Lazio siamo noi.it)