-フィオラネッリが代理人を務めるOnaziが、レンタル移籍を求める。(05/24)
-プリマヴェーラDFクレシェンツィ('92)の代理人Bruno Carpeggiani:「現在、彼はプリマヴェーラだけに集中している。プリマヴェーラは難しい最終局面(スクデットへのトーナメント)に立ち向かっているところで、彼は穏やかに戦うことを望んでいるんだ。彼にとって何が最高の選択になるのかは、これが終わってから考えなければならない。(契約は2015年まで残っているが?)ルカがラツィオのティフォーゾであることは誰もがわかっているだろう。このユニフォームでプレイし、“主役”になれる可能性があるのなら残留することになるだろうが、いまは何も言えない」。(05/23)




☆ロレンツォ・デ・シルヴェストリ(フィオレンティーナ) (TMWmagazine 05/25)
-キャリアはロムレアから始まった:「ローマで最も重要な少年クラブの一つであるロムレアのトライアルを受けて、合格した。ポジションはこの頃から右サイドだった」。
-思い出:「最初の監督はファビアーニだった。彼とは、その後ラツィオでも再会することになった。2年間在籍したロムレアには素晴らしい思い出があるよ。ビアンコチェレステに行くことができたのはミステルのお陰だ。彼は、ラツィオのタレントスカウトだったVolfango・パタルーカに、僕の名前を知らせてくれたんだよ。そして、レッジョ・エミリアで行われたトーナメントでのパフォーマンスによって、僕はラツィオに向かうことになった」。
-心のチームでのプレイ、これ以上ない夢:「ラツィオではジョヴァニッシーミ・ナツィオナーリからスタートした。1年目は右SBで起用されて、良いパフォーマンスを見せることができた」。
-U-16代表:「最高の喜びだったね。ロッシ、ルポリ、パオネッサとった選手たちと戦ったサレルノのアレキスタジアム。あのときのユニフォームは永遠に大切に取っておくよ。僕はあれから、一気に前進していった。そして、ランバウディやセセーナの指導を受けて、2005年のインタートト杯タンペレ戦でのデビューに近づていったんだ。幸運だったことは否定しないよ。プリマヴェーラからトップチームへ、そしてスタメン...でも、僕には鼻をヘシ負ってくれる最高の家族がいた」。
-キャリアのなかには、オリンピックの舞台もあった:「たくさんの有名選手が傍にいたけれど、サインを求めたりはしなかった。彼らは、この重要なイベントに4年間かけて準備してきたわけだから、それを邪魔するようなことはしたくなかったんだ」。
-感情:ショーケースのなかには、ラツィオと共に勝ち取ったコッパ・イタリアがある:「試合すべてを覚えているよ。あの試合は僕自身も出場することができたし、二重の誇りがあるね。ダボのPKとその後のお祭り騒ぎは、いまも目に焼き付いているよ」。 
-テクニック面:「僕はカルチョスクールには行かなかったから、基本的な面が欠けていた。そこで、デリオ・ロッシはトレーニング終了後に、長い時間をかけて僕にテクニックと戦術的なトレーニングを行ってくれたんだ。彼には本当に大きな恩がある」。 
-プリマヴェーラ、トップチーム、トロフィー...そして、ラツィオとの決別と毒...:「正直に言うよ。いろいろと言われていることは残念に思っている。でも、ラツィオから去ることが簡単じゃなかったのは明白だ。僕は家族の傍を去ったけれど、それによって成長することができた。ローマから出て行ったことが、僕を成熟させてくれたんだ」。
-キャリアのアイドル:「ジャンルカ・ザンブロッタ」。
-いつかはミステル・デ・シルヴェストリに?:「No、no、監督にはならないよ。下部組織のDSになってみたいとは思っているけれど」。