☆クリバリ インタビュー(Messaggero)
−18本のネジと3枚のプレートを入れた後、わずか10日でピッチに立った。
「ステンダルド、シヴィーリアがいたら危険を冒すことはしなかった。ただ、すぐにピッチに戻ることができたのはラツィオのお陰だよ」



−勇敢な姿勢には感謝したいです。
「2年前、僕はラツィオに来た。あの時の僕はケガから復帰した直後で快方に向かっている段階だった。僕たちは共に生まれ変わっている。まだまだやるべきことはあるし、成長しなければならない」



−8月14日の夕方に話を戻します。状況は0-0でした。その時頭を衝突。あの時の記憶は?
「ものすごい痛みがあった。ピッチから出て、いろいろと考えたよ。ロッカールームの鏡で顔を見たら、とても変な形をした顔が写っていた。そこでまた考えたよ。僕のキャリアはもうここで終わるんだ、もうカルチョを辞めるんだ、とね」


−その後は?
「夜は痛み止めを飲んで寝た。朝になってすぐに医師を話した。カッショーネ教授、ペトルッチ先生には『もしも保護マスクを装着するのなら、試合に出ることをOKすることもできる。ただそれは君次第だ』と言われた。僕はこの言葉は信じていなかったけれど、『僕はピッチに行くためなら構わない』と答えた。それですぐにフォルメッロに戻ったんだ」



−マスクをした後どんな影響があった?
「保護マスクの存在は気になってしまった。DFは常に相手の後を追わなければならないし、頭を回転させることができなかった。DFは101%まで集中してプレイしなければならないんだけれどね。また目の下のプレートにも苦しめられた」



−顎は?
「固い食品は食べられないね」



−トリノ戦ではどうだった?
「僕はベンチにいた。だけどディアキテが負傷してしまった。ロッシ監督は『クリバリ、君が必要だ』と伝えてきた。正直、僕は怖かったよ」



−ファンは...
「僕のサイトはメールでいっぱいになった。今日もまだメールが届いているんだ。彼らからはとても大きな愛情を感じている。ピッチ上でお返ししたい」



−彼らにとってあなたは『英雄』です。
「彼らが僕を愛してくれる限り、僕はここにいる。僕にとってラツィオは最も大事なものだったから、夏に届いたオファーも全て拒否したんだ。2011年まで契約は残ってる。ただ引退はブラジルでしたい。僕は17歳の頃からイタリアにいるから、ブラジルでプレイしたことはないんだ」



−君のもう1つの夢は誰もが知っている。
「代表のことだよね。5月の時からドゥンガは僕を見ててくれて、今週にもカナリアに行くことを望んでいた。だけどケガで流れてしまった。次のチャンスを待っているよ」



−ブラジルは常に良いDFを探しています。
「僕はトレクァルティスタとして生まれたんだ。アイドルはジーコだった。DFになったのはエンポリ・プリマヴェーラのジェライン監督の推薦だった。彼にはずっと感謝している。彼は正しかったよ」



−ラツィオは昨シーズンより強くなったと感じますか?
「カンピオナートは昨シーズンよりも困難が増えたけれど、僕は5位以内に入れることを確信している」



−新たな選手たちについては?
「DF陣に関してだけ話すよ。フィジカルと技術を兼ね備えているデ・シルヴェストリとコラロフは国際レベルにある。あとディアキテは僕に似たタイプで、僕の意見を常に聞いてくれている。彼には早く戻ってきてほしい」



−ラツィオのグループについて話してください。
「僕たちはしばしば夕食を共にしている。これはとても楽しいひとときなんだ。僕は今までのキャリアでこれほどまで仲が良いグループ、家族のようなグループは見たことがない。ピッチ上でも僕たちは楽しい時間を過ごしている」