・DF補強候補(Corriere dello Sport)
1月のメルカートへ向けて、ラツィオは既に経験豊富なDF補強を計画している。現時点で唯一わかっていることは、補強候補がEU内登録選手になるということだけだ。もしEU外選手を補強する場合には、マキンワ(1月にイタリアのパスポートを取得する)の枠が空く来年の6月まで待たなければならない。
MIRANDA - サンパウロとの契約が2011年に満了するミランダ('84)の評価額は1000万ユーロとなっている。彼には多くの欧州クラブが関心を寄せているが、ロティート会長はJuvenal Juvencio会長と素晴らしい関係を築いているという点で有利になるかもしれない。
MEIRA - 今夏のメルカート終盤に浮上したものの、経済的な障害によって成立には至らなかった。2011年までの年俸230万ユーロという契約を結んでいるメイラの移籍金は300万ユーロほどと評価されている。
LUGANO - ラツィオはディエゴ・ルガーノのことを考え続けている。ただ、フェネルバフチェは昨年の夏にルガーノとの契約を3年延長しているため、交渉は簡単ではない。そして、ルガーノ自身もトルコに留まる意向を示している。
TOLOI - ゴイアスとの契約は2014年までとなっている。12月にはイタリアのパスポートを取得する見込みとなった彼の移籍金は400万ユーロほどと見られている。



☆アンドレア・バニョーリ代理人(ゴイアスの若手DFトロイの代理人)
「7月にラツィオが迎えに行くことを考えていたトロイは、1年後にはEU内選手になれるかもしれない。12月にパスポートを取得できる可能性もあるが、来年の6月には確実に手続きが終わっていると思う。ただ、トロイは今後6ヶ月以内に欧州に向かう準備ができているから、欧州にはEU外選手として到着することになるかもしれない。評価額に関しては、ゴイアスは保有権100%に対して600-700万ユーロを求めたが、最新の状況では共同保有で話をまとめることもできる可能性がある。パレルモは8月27-28日の間に具体的なオファーを出してきた。また、ポルトからもオファーがあったが、トロイはイタリアに到着するということを夢見ている。ラツィオは再びトロイの獲得を考えると思うよ。ラツィオは多くのブラジルのクラブと良い関係を築いているし、トロイは既に有名な選手だからね」(La Lazio siamo noi.it)



・ルガーノ:デルビーが勃発(Itasportpress.it)
ラツィオから接近されているフェネルバフチェのディエゴ・ルガーノは、ローマの1月のメルカートの標的にも含まれている。したがって、メルカート上でもローマデルビーが繰り広げられることになるかもしれない。



・DF補強:ダニーロが浮上(Itasportpress.it)
今夏のメルカートでバーリが接近し、ユヴェントス、リヴァプール、フィオレンティーナも追跡しているパルメイラスのDFDanilo Larangeira(26)はラツィオの1月のメルカートの標的となるかもしれない。



・フィルマーニ:国外移籍か契約解除へ(La Lazio siamo noi.it)
-コレア、アルティポリ、マンフレディーニ、クァドリ、ボネット、フィルマーニは全体トレーニングから離れた場所でのトレーニングを強制されている。
-レヤ監督はフィルマーニに敬意を寄せながらも、トップチームから除外することを選択した。
-現在、フィルマーニ側はこの状況を解決するためにロティート会長と会談を行うことを求めている。ルーマニア、アラブ諸国のメルカートはまだ開かれており、国外クラブへの移籍の時間は9月半ばまで残されている。
-移籍先が見つからなかった場合には、フィルマーニ側は契約解除という解決策に向けて動き出すことになるだろう。



・レヤ:除外されている選手たちと面談(Noibiancocelesti.net)
我々が入手した情報によると、昨晩レヤ監督は“除外”されている選手たちと顔を合わせ、状況を理解したようだ。この面談にはターレDSも参加した。



・居場所確保を望むアルヴァロ・ゴンザレス(Corriere dello Sport)
84年生まれのウルグアイの中盤は、ひっそりとローマに到着した。ランナーという特徴でレヤ監督からの信頼を手にしたアルヴァロ・ゴンザレスは、スタメンの座を奪うことを望んでいる。レヤ監督は彼を様々なポジションで起用し、調査している:中盤の底、メディアーノ(ハーフバック)、必要に応じて右サイドでも。ゴンザレスはチームのために厳しく走り回ることのできる、周囲を失望させることのない選手だ。
キャリア - Defensor Sportingで成長したゴンザレスは、2007年にボカ・ジュニオルスへ移籍し、ミランとのクラブ世界一を決める決戦にも出場した。それから、ボカでの経験を終えたあとは母国ウルグアイのナシオナル・モンテヴィデオでプレイしていた。ウルグアイ代表では2006年にデビューし、ウルグアイで最も有望な若手の一人と考慮されていた。