☆ダヴィデ・バッラルディーニ氏 インタビュー(Gazzetta dello Sport)
カターニャからの注目。バッラルディーニには、2月7日に自身を解任へ追い込んだカターニャが目を向けている。「私には、何のサポートもなかった...」。ダヴィデ・バッラルディーニは言う。2月、ラツィオがセリエBに足を突っ込んでいた。「彼らのA残留には満足している。でも、驚いてはいない」。



−どうして?
「5ヶ月間、私のクラブは4日ごとに試合を行い、32試合をこなした。でも、レヤは1週間に1試合というペースでわずか15試合しかこなさなかった。レヤは少ないケガ人、少ない疲労の中で戦っていたからね」



−レヤのペースならば、ラツィオは勝ち点60に辿り着いていた...
「私の仕事と彼の仕事を比較することはできない。彼にはディアス、ビアーヴァ、フロッカーリ、レデスマがいたんだから」



−もしあなたが1年間ラツィオを率いていたとしたら、ローマは今もこのように静かだったでしょうか?
「数字はすべてを表している。私はパンデフとレデスマ抜きで勝ち点19を積んだ。これは、昨年のデリオ・ロッシの同時期の勝ち点20とほぼ同じだ」



−でも、あなたがセリエB降格の危機に瀕していたのは、当然のことではない...
「人の管理の問題があって、ロッカールームには不平不満が広まっていたんだ」



−ロティートからは何か言われた?
「会長からは、電話で解任を伝えられた。結果に満足していないということを言われたよ」



−どうして、レヤが来てからすぐにレデスマが復帰したのでしょう?
「昨年の夏、私はラツィオとの契約にサインする時にクラブ側のプロジェクトを受け入れたんだ。あのプロジェクトでは補強と放出の予定が出来上がっていた。でも、結局は何もなされなかった。私が求めていたDFも到着しなかった」



−どうしてそのことを言わなかったのかな?
「メルカートは既に終わっていたから、最善の結果をもたらすために全てを尽くそうとしたんだ。我々はスーペルコッパに勝ち、カンピオナート開幕も終えていたからね」



−レデスマはあなたに対して『曖昧だった』と話しました。
「うーん、変なものだね。私は彼と3回ほど話をした。キャンプ中、北京から帰ってきたとき、最後は1月。私は彼に対して、『君は偉大な選手だが、君をプレイさせることはできない』とハッキリと話したんだけどね」



−サラテとロッキは一緒にはプレイできない?
「周囲の人たちは、私に対してこのようないくつかのバカげた確証を与えてきた。レヤも同じように思っている?ロッキとサラテは確かに良いコンビじゃない。この2人はお互いに愛し合っているわけでもないし、関係の問題もある。でも、技術的な問題として彼らの起用は選択肢の1つであるべきだ」



−サラテについて、彼をスタメンから外した理由は?
「彼は自らのスタイルに拘っていた。彼の姿勢を変える必要があると思ったんだ。偉大な選手でも、時にはピッチから外されることはある」



−これに対する、サラテの姿勢はどうだった?
「彼の性格上、ロッカールームには心配が生まれたりもしたし、彼自身がチームメイトに対して過激になることもあった」



−今も連絡を取り合っている選手はいるのでしょうか?
「いるけれど、名前は言わないよ」