☆ロレンツォ・デ・シルヴェストリ(フィオレンティーナ)
「9年間過ごしたラツィオを出て行くのは難しかった。あの会長がいなかったら移籍することはなかったことを明かしたい。彼がいたから、ラツィオで過ごしたいという僕の願望はわずかなものとなってしまったんだ。すべてを説明するにはリスクがあるから、それはできないけどね。会長は選手のことを『金目当ての間違った人間』だと言ったけれど、僕はここに来るために2ヶ月分の給料を失った。何があったのか?すべてを言うことはできない。ローマから出て行った人たちに聞いてくれよ。オスティ、サバティーニ、ペルシチェッティにね。昨年、僕は北京オリンピックから帰ってきたあとに肉離れを負い、ポジションを失ったけど、問題はなかった。だから...僕は常にトレーニングを受け、常に最大のモノを与える準備をしていた。僕たちはコッパ・イタリアを獲得したし、僕はこれを示すことができたと思っている。どうしてロティートが僕に対してこのように言っているのか、わからない...ロッキ?トンマーゾは僕の友人の一人だ。信頼できるコーチって感じだね。ガブリエレ・サンドリは僕にとって兄貴のような存在だった。メディアは僕たちの友情をいろいろ模索し、僕のことをロボットのように放送した...このような出来事はこれが最後になって欲しいと思っているし、二度と起きて欲しくないと思っている。僕は正義が欲しいんだ。フィオレンティーナ?彼らは本気で僕を欲しがってくれた。だから僕はフィオレンティーナ移籍を決めたんだ。すべてはコルヴィーノから始まった。僕は真剣なプロジェクトを求めていて、このクラブにはそれがあった。僕にとってはすべてが新しいものになる。新たな冒険を開始したいという大きな願望があるよ。カルチョの先生といえるプランデッリのような監督と働くことができて満足だ」(La Lazio siamo noi.it)
「CL出場権を獲得してくれた新たなチームメイトに感謝したい。僕はこのグループに属することができることを誇りに思っている。昨日のスタジアムは素晴らしかった。ティフォージも信じ難いものだったし、すぐにものすごい感情にさせられたよ。ロッカールームでは皆が幸せにしていた。9年間過ごしたラツィオを去るのは難しかったけれど、僕はラツィオからではなく、ラツィオの会長から去ったんだ。あのユニフォームの感情は見事なものだったし、僕はずっとビアンコチェレステティフォージのままでいる。僕をフィオレンティーナに連れて来たいという願望を示してくれたコルヴィーノDSには感謝しているよ。ミランからの関心は事実だったけれど、ミランはプレッシャーがすごいし、成長することのできる場所だとは思わなかったから、僕はフィオレンティーナを望んだ。ロティートとの間に起きたことは説明したくない。何が起きたかはオスティ、サバティーニ、ペルシチェッティに聞いてくれよ。昨年の北京オリンピックのあと、僕は肉離れを負った。それからは、チームに入ろうと努力していた。そのためにトレーニング中も常に最大限のパフォーマンスを保証していたんだ。ポジションを求めてなどはいなかったよ。コッパ・イタリアではしばしばプレイできたし、最終的にはタイトルを獲得することができた。僕は常にローマで過ごしてきたけれど、ここからすべてが変化することになった。このグループに来ることができて満足だよ。プランデッリの下で働くことは名誉だね。ヒザの問題であと2,3試合はプレイできないけれど、回復は順調だし、すぐに復帰できると思う。意見が違う存在だった?僕は反体制派ではない。敢えてトラブルを引き起こすこともできたけれど、僕はそうはしなかった。パンデフは僕よりも成熟しているし、彼に対して何をするべきか話す必要はない。偉大な選手である彼の現状は本当に酷いものだよ。カルチョのことだけでなく、心や情勢を考える余裕も持つべきなんだよ。僕は英語、フランス語、ドイツ語、スペイン語を知っている。スポーツは僕のフィジカル改善を助けた。僕はフィオレンティーナを強く望んでいた。ここでは自分が貴重な存在であると感じることができるんだ。僕の姉は8月29日に24歳になる。だから、背番号は29を選択した。姉との間には絆があるんだ。ラツィオには多くの友人がいるけれど、特にロッキは兄弟のような友人だった。彼は重要な言葉で僕を抱こうとしてくれたよ。ロティートは『選手は金目当て』だと言っているけれど、僕はここに来るために2ヶ月分の給料を破棄した。ロティートが善意を持ってくれることを祈っているよ。ガッボ?僕にとっては兄貴のような存在だった。彼が亡くなったとき、メディアは僕を利用した。彼らは僕をロボットと見なしているかのようにあらゆる放送で僕を写したんだ」(Violanews.com)