☆ステファノ・フィオーレ(無所属) インタビュー(La Lazio siamo noi.it)
良いテクニックとセンスを持った元ラツィアーレ戦士、ステファノ・フィオーレ。彼は現在も熱意、決心、欲求を失っていないが、プレイする場所は未だに見つかっていない。たとえ最大のレベルのクラブでなくとも、フィオーレはピッチとロッカールームで過ごすことを望んでいる。laziosiamonoi.itはインテル-ラツィオの見解を求め、独占的に彼と接触した。



−君のキャリアはどのように始まった?
「他の子供と同じさ。父がジョカトーレだったから、僕は10歳の頃にコゼンツァの下部組織に入ったんだ。それ以降は皆知っているだろう」



−特に忘れられない思い出は?
「トップチームでデビューしたときのことかな。ポジティヴなこと、ネガティヴなこと、たくさん経験して成長してきたよ」



−ラツィオに対する最初の印象は?
「ウディネみたいなプロヴィンチアからいきなりラツィオというクラブ、ローマという街に来たわけだけれど、僕にとってはすべてが新しいことばかりだった」



−最初はティフォージ、ラツィオから歓迎されていたよね?
「僕に対する多くの期待があった。重要な選手が去ったあとに僕がやってきたから、大きな責任を背負っていたんだ。この影響は単純じゃなかった。チームにも問題があったしね。最初のシーズンはポジティヴなものじゃなかったけれど、その後はすべてを取り戻すことができた」



−あなたはヴァレンシアでもプレイしました。国外でプレイするときの違いは?
「僕からすれば、これはそれぞれの外国によって違うモノだと思う。スペインは非常に技術的で、イタリアに比べたらプレッシャーも少ないカンピオナートだった。僕はすごく幸運だったと思うよ。スペインで最も立派なクラブの1つに所属し、美しい街で生活できたんだからね。あれは僕の人生の経験にとってすごくポジティヴなことだった」



−どの監督が一番印象に残っている?
「僕は一部の偉大な監督と過ごしてきたという財産を持っているし、1人だけ挙げて他の人を非難するようなことはしたくない。ただ、本当に1人だけ言わなきゃいけないのなら、ゾフ監督だね。彼は、まだ若造で完全に爆発しているわけでもなかった僕を代表に召集し、EUROでレギュラーにしてくれた。彼は僕に大きな信頼を寄せてくれていた」



−元チームメイトとの特別な思い出は?
「たくさんあるよ。でも一番はカルチョを越えた関係を築いたジュリアーノ・ジャンニケッダだ」



−現在のラツィオはどう思う?
「僕が在籍していた頃とは丸っきり変わった。ロティート会長は多くの面を変化させたよ。数年前のラツィオの方が競争的だったことは明らかだけれど、今のラツィオはプロジェクトを継続させている。グループはまだ若いし、成長することができるだろう。彼らは重要なカンピオナート開幕スタートを切ったけれど、その後は失速してしまった。でもこれは予想できていたことなはずだ。コッパ・イタリア決勝は今シーズン1年を適切な方向で終えることができる試合になる。もしコッパ・イタリアを獲得できれば、まだまだ成長することのできる若手にとっては良い経験になるだろうし、新シーズンは更に良くなるはずだ」



−ラツィオは03/04シーズンにコッパ・イタリアを制している。現在のラツィオはこれを再現することができる?
「一人のラツィアーレティフォージとして、それを祈っている。ラツィアーレの人々がもっと重要なモノを争うことを望んでいるのは明らかだ。でも僕は信じている。クラニョッティ会長のすべてを消し去ったあと、ラツィオが再び頂点を争うプロジェクトを待っていることをね」



−サラテのことはどう思う?
「良い選手だよ。イタリア初年度で、若手だっていうのに逞しくやっているよね。ただ、イタリアのカンピオナートはこれまでに多くの才能を燃やし殺してきた、すごく難しいモノだ。彼のイタリア初年度は確実にポジティヴなものだった。僕はラツィオが素晴らしい投資を行ったと思うよ」



−どうして君はカルチョの経験を終えたの?
「今年、僕は理解できない形でプレイすることを遮られた。でも引退することは全く考えていないよ。6月にプレイするために戻りたいと思っている」



−セリエAには30歳以上でありながらチームを引っ張っている選手がいる。あなたも若手の手本になれるでしょう。
「それが僕の欲求だ。僕はこの目標を達成するためにすべてを尽くすつもりだよ。イタリアでは30歳以上の選手はもう終わった存在だと考えられている。でもベテランはロッカールームでもピッチ上でも、バランスを保つには重要な存在だ。誰かが僕に復活する可能性を与えてくれることを願っている」