・パンデフの成長
保証されたパンデフ。素晴らしいシーズンを送っているパンデフはこれまで年を重ねるにつれて安定した成長を遂げてきた。ロッシ監督は最高の形で彼の技術的な特徴とフィジカル面を安定させることに成功し、怠け者で不安定なジョカトーレであったパンデフの姿は遠い過去のものとなった。パンデフについては、ロッシ監督だけでなく、クラブ側もウディネーゼから安価な額(保有権50%を競売で400万ユーロで獲得)で買い取るという勝利を収めている。
最も大きな歓喜と言えるのは、スタンコヴィッチのインテル移籍の際にパンデフの共同保有権獲得を交渉に含めたことだろう。ラツィオはこの交渉の中で、笑いの出る価格でパンデフを手に入れた。このとき、パンデフ自身はラツィオでなら重要なスペースを得られると考えていた。それと同時に、彼は後々ネラッズーロが重大なミスを犯したことを証明する方法も知っていた。
ラツィオ移籍後のパンデフは1年目こそ小さな内容で終わったが、2005年から成長を開始した。ロッシ監督はすぐにこの左利きの天才の大きな潜在能力を理解し、多くの忍耐を持ちながらピッチ上で彼を起用してきたのだ。そして現在、パンデフは、彼のパフォーマンスがラツィオの結果を左右するほどの重要な要素となった。
25歳で完璧へと成長したパンデフは、自らのキャリアで最も重要な契約の実現を待っている。現在の契約は2010年に満了するが、この契約をさらに5年間延長するために動いているのである。パンデフはクラブの将来を表す存在だ。ラツィオが失敗することは許されない。(Messaggero) 



・ディアキテ「自分がレギュラーだとは思っていない。まだ成長しなきゃいけない」
今シーズン前半戦、ビアンコチェレステにおけるサプライズの1つとなったモビド・ディアキテはインタビューに応えた。
彼はまず、自らの生い立ちについて口を開いた。「僕はパリで生まれた。それから代理人によってイタリアに来ることになって、まずはGranaroloでキャリアをスタートさせた。その後は1年間サンプドリア、2年間ペスカーラに所属した。ペスカーラでの2年目の途中には、ラツィオにレンタル移籍してヴィアレッジョトーナメントに参加したんだ。そして、ラツィオは僕を獲得することに決めた。ラツィオでの1年目、僕はプリマヴェーラに所属しながら、セリエAで2試合に出場した。2年目には開幕戦でスタメン出場したけれど、すぐにケガで離脱してしまった。ケガを負った後は、まずフランスで手術して、イタリアでリハビリを行ったよ。昨夏は新たなシーズン開始へ向けて準備できていることを証明するためにトレーニングを積んだ。レンタル移籍という可能性もあったけれど、僕はここに残留することをクラブに尋ねた。そして、監督は僕にチャンスを与えてくれた。僕は遅かれ早かれチャンスが来ると信じていた」。
ディアキテは自らの弱点と特徴を理解している。「僕はすべての面で、特にテクニックの面で成長しなきゃいけない。その一方で僕の強みは精神面と走力だ。子供の頃はバスケットや100m走をやっていたんだ。最終的には友人がカルチョをプレイしている姿を見て、僕もカルチョを開始したんだけどね」。
彼の成長はチームメイトの助けがあってこそのものだった。「僕は、多くのベテランからアドバイスや財産を貰っている。このグループは最高だよ。トレーニングで偉大なFWと対戦できることは、イブラヒモヴィッチのような敵と戦うときのための助けになる」。
代表入りについて、ディアキテにはハッキリとした考えがあるようだ。「僕は常に代表入りのことを考えている。代表に選ばれることはすべての選手にとっての夢だと思う。イタリア代表のユニフォームでプレイする?決してありえない...」
栄光の瞬間を過ごしているにも関わらず、アルプスの向こうで生まれた青年は謙虚な姿勢を保っている。「僕は、今年が自分の年だとは思っていない。僕はトレーニングすることを考えなきゃいけないし、今までしてきたことを継続させなきゃいけない。自分がレギュラーだとは思っていない。多くの競争があることを考えれば、ラツィオで確かな場所を持った選手はいないんだ」。(Noiaquilebiancocelesti.com)