・ディ・チェーザレ「ラツィオに戻れたら最高」
イタリアのカルチョは歴史的に他の国のカンピオナートから多くの選手を獲得してきた。しかし近年は経済的な競争に劣ることが増え、スペインやイングランドが台頭し、傾向は覆されている。そしてこの新たな傾向は下部組織にも打撃を与え、多くの若手が主にイングランドやスコットランドに流出するケースが増えている。若手は国外へ去る決断を下すほど、夢に魅力を感じているのだろうか?この冒険について、我々はある選手に尋ねた。
ラツィオからチェルシーへ−今夏25歳を迎え、マントーヴァからヴィチェンツァへ移籍したヴァレリオ・ディ・チェーザレ。ネスタの後継者とも言われていた彼は01年にチェルシーからのオファーを受け、夢のキャリアを追い求めた。「僕はラツィオでプレイしていたけれど、契約はなかった。そして代理人に対してチェルシー移籍という可能性が浮上し、僕は1週間のトライアルを経て、5年契約にサインした。新たな世界が開けていた」。だが、結果的に成長することは難しかった。「きっと経験がなかったんだろう。でもアタランタやエンポリの若手たちは国外に行くという選択肢を持っている」。ディ・チェーザレはチェルシーでの冒険を今も覚えている。「トレーニングは全く異なるものだった。僕自身については非常に健康だったよ。唯一残念なのはトップチームでプレイできなかったことだね。だけど、それでも素晴らしい経験だった」。
前向きな経験−ディ・チェーザレは若手のイングランド行きには賛成しているようだ。「経済的な観点以外の面を話すよ。僕はチェルシーにすごく助けられた。そしてチェルシーで過ごしたお陰で、英語という重要な言語も話せるようになった。イングランドに行くことには価値がある。何人かの若手がマンチェスター・ユナイテッドやアーセナルに行ったことを見ればそれがわかるだろう」。夢は夜明けと共に終わると言われているが、ヴァレリオの夢は3年で終わった。「トップチームと共にトレーニングをし、リザーブチームではレギュラーとしてプレイしていた。トップチームにはデサイーとギャラスという2人の怪物がいたんだから、僕のためのスペースがあるわけないだろう?その後僕は5ヶ月間アヴェッリーノへレンタル移籍し、チェルシーとの契約を解除した。そしてイタリアで再出発を図り、アルビーノレッフェに向かった」。このあと、彼はセリエBカタンザーロ、マントーヴァでの実りあるシーズンを送りヴィチェンツァへ移籍した。「ヴィチェンツァとは2011年まで契約を結んだ。でも僕はまだセリエAでプレイすることを夢見ているし、もしもそれがラツィオで実現したら最高だよ」。(calciomercatonews.com)