☆カリーソ:ラツィオ移籍物語(Corriere dello Sport)
・2007年4月28日−ペルッツィ引退が決まり、メディア上にて初めてカリーソのビアンコチェレスティ入りが浮上。ウスターリの名前も
2007年5月17日−ラツィオとリーヴェルが交渉開始。ラツィオ側はリーヴェルの要求額の半分となる500万ユーロを提示
2007年6月5日−ラツィオは600万ユーロを提示、リーヴェル側は1000万ユーロなら放出容認の構え
2007年6月21日−カリーソがラツィオ入りを優先。合意が存在
2007年7月5日−リーヴェルが始めて交渉に応える。
2007年7月8日−ラツィオが700万ユーロを提示
2007年7月13日−カリーソがリーヴェルにラツィオ移籍を求める。
2007年7月19日−ラツィオがブエノスアイレスに出向き、750万ユーロで交渉を終える。
2007年7月26日−カリーソは2012年までの契約にサイン
2007年8月16日−パスポート取得の実行が延期
2007年8月18日−ピネローロの検事が書類を調べてたら問題発生。『これ偽者じゃん』
2007年8月23日−ラツィオ、ムスレラを獲得
2007年8月30日−カリーソのリーヴェルへのレンタル移籍が決定
2007年12月11日−トリノの当局はラツィオのアプリーケーションを少しも拒否せず
2008年1月3日−カリーソは新たな文章と共にイタリアに戻る用意ができた。
2008年1月6日−カリーソ、ローマに到着。市長と話し合い、弁護士と共にピネローロへ。その後再びアルゼンチンへ帰国
2008年1月31日−ラツィオ、結局カリーソを登録できず
2008年6月9日−カリーソ、リーヴェルプレートで優勝
2008年7月6日−カリーソ、ローマに到着。EU外枠で登録