・デルビーまで残り4日:11月11日の動き(La Lazio siamo noi.it)
−ガブリエレ・サンドリ:彼が亡くなった2007年11月11日から1年が経った。
−クラウディオ・ロティート会長(ラツィオ):「全ての関係者が最高の形でデルビーに挑むことを望んでいる。ローマが危機にあることを考えてはいけない。私は選手たちが我々の持つ全ての価値を示してくれることを確信している」
−フランチェスコ・トッティ(ローマ):Messaggeroのインタビューにて、両チームのティフォージへの訴えを開始した。「ガッボのために暴力をなくそう」
−トリゴリア:2日間のオフを経てトレーニングが再開された。紅白戦では黄色ビブスにピポロ-シシーニョ-ジュアン-リーセ-グレコ-ピサーロ-モンテッラ-オカカ、赤ビブスにアルトゥール-カッセッティ-ロリア-メクセス-タッデイ-デ・ロッシ-ブリーギ-トッティ-ヴチニッチが入った。
−6万人:デルビーでは6万人の観衆が訪れると予想されている。
−フォルメッロ:午後からトレーニングを行った。シエナ戦でアザを負ったフォッジャはトレーニングに参加しなかった。状態については明日評価が下される。一方でマンフレディーニはグループに合流した。なおマトゥザレムとフィルマーニは別メニューを行っている。




☆クラウディオ・ロティート会長
「我々が謙遜と決意、集中を維持できるのならば全てのティフォージにとって素晴らしいデルビーになるはずだ。ローマ?彼らが危機にあるとは思っていない。カルチョはエピソードのようなもので、彼らはこれまでのところチームの潜在能力をピッチ上で示すことができずにいる。ローマの方が戦力は上?私は我々が最高の選択を下したと確信している。私は今年ラツィオが100%の潜在能力を示すことができると信じている。そのために謙遜と決意を保つことを望んでいるよ。サラテとトッティの対戦?この2人は完全に異なる選手だし、比較するつもりはない。サラテはまだ若いし、まだまだ大きく成長できる余地がある。我々は偉大な選手という認識を持ってサラテを連れて来た」(DIRE)




・古いものと新しいもの:トッティに挑むサラテ
ラツィオとローマは日曜日にカンピオナート131回目のデルビーを迎える。ジャッロロッシのカピターノ、ビアンコチェレスティのボンバー。両チームの背番号10には多くの注目が集められることになるだろう。
サラテはイタリアでの冒険を印象的な形でスタートさせた。これまで7ゴールを決めている彼は、シーズン序盤は得点ランク首位に立っていた。21歳の彼に対し、アルゼンチン代表監督のマラドーナは「彼にもアルゼンチン代表入りの可能性は存在している」と語っている。
一方、トッティのデビューは値の張る小説のようなものだ。彼はいとことのデルビーの29試合に出場し、喜びと失望を味わってきた。デルビーでのデビューは14年前の94年3月6日の煙の中での試合だった。マッツォーネ監督は同点に追いつくために後半からトッティを投入した。そしてトッティはネグロからPKを奪ったのだが、ジャンニーニのPKはマルケジャーニに阻止されてしまった。それ以降、彼は多くの喜びを集めた。エリクソンのラツィオを4-1で下したこと。ザッケローニのラツィオを5-1で下したこと。ただ、トッティが出場したデルビーでの成績はあまり良いものではなく、9勝9分11敗となっている(97/98シーズンは4戦全敗)。
トッティ-ラツィオの歴史は小説にできるものだ。ただ、これからはサラテ-ローマという歴史が始まるかもしれない。ちなみにサラテは過去に既にデルビーに近付いていた。兄のセルヒオ代理人は先週、今夏ローマにマウリート獲得を提案していたことを明らかにしたるのだ。結局この話は進展はしなかったが、この件はトッティがかつてラツィアーレ入りに近付いた際に、彼自身のハートにあるローマを選んだ出来事とシンクロしていると言えるだろう。(Leggo)



・デルビーまで残り5日:ローマデルビー歴史を振り返る(La Lazio siamo noi.it)
・ローマとラツィオの最初のデルビーは「Rondinella」スタジアムにて1929年12月8日に行われた。試合はローマが1-0で勝利
・カンピオナートのみでのデルビーの最も長い連勝はローマ側が記録している。ローマは1958年10月30日から1960年10月13日まで5連勝:1-3、3-0、3-0、0-1、0-4
・1997/98シーズンにおいて、ラツィオはデルビー4試合全てに勝利。11月1日のカンピオナートでは3-1、1997年3月8日の二度目のカンピオナート対戦でも2-0。コッパ・イタリアでは1月6日に4-1、1月21日に2-1で勝利
・2002年3月11日、ローマはラツィオに5-1で勝利。最も大きな得点差が発生した試合は1933/34の5-0でのローマの勝利
・2006年12月10日、ラツィオは3-0でローマを下し、ラツィオ側の最も大きな得点差勝利を記録
・2006年2月26日、タッデイとアクィラーニのゴールでラツィオを下したローマは11連勝記録を樹立
・1953年11月29日、デルビーが初めてオリンピコで行われる。試合は1-1の引き分け
・1956年3月11日、デルビー開催が予定されていたが信じ難いことに雪で延期に。ローマのカルチョの歴史上において前例なし。4月4日に改めて行われたデルビーはラツィオが1-0で勝利
・1969年9月7日のデルビーはスタジアムの電力ダウンにより、試合終了3分前に中止された。会議ではビアンコチェレスティ側に責任があると見なされたため、ローマの2-0での勝利という結果になった。試合はローマが1-0でリードしていた。



・デルビーまで残り5日:11月10日の動き(La Lazio siamo noi.it)
−ローマGKドニ(2005年10月23日にデルビーでデビュー)「ケガ?デルビーでもプレイできると思う。問題があるとは思わないよ。1週間で全て解決するだろう」
−ラツィオ・ロティート会長「デルビーがティフォージにとって最も重要な試合であることはわかっている。我々は謙虚なままでいなければならない。我々がその姿勢を保つことができれば、誰も我々の素晴らしいショーを妨げることはできない」




・ロッキを熱くするローマ
カピターノは復帰した。ちょうどデルビーに間に合う形で。「より多くの試合の中で、シーズン最も重要な試合だ」。シエナ戦でトンマーゾ・ロッキは2ゴールを決めた。そしてラツィオは3-0で勝利を収め、最高の形でローマとの131試合目に挑むことになった。
ロッシ監督は日曜日の夕方にはロッキを必要としていなかったが、ロッキはこれまでローマ相手には常にスタメンでプレイしてきた。これまで彼がデルビーで残した結果は8試合4得点だ。「俺が初めてデルビーでプレイしたとき、俺たちは3-1で勝った。俺はあの試合での愛情を忘れない」。2005年1月6日からロッキを巡る状況は変化した。彼はティフォージのアイドルだったディカーニオの立場に近付いていったのである。「パオロは彼に翼を残して行った」。ティフォージはこのような冗談を言う。この翼でトンマーゾはクラブ歴代得点ランクでの飛翔を開始した。現在彼は75ゴールを決めており、78ゴールのプッチネッリに次いで6位に位置している。今年の2月にラツィオと5年間の契約延長という生涯のサインを行ったことを考えれば100ゴール達成も可能だろう。
今シーズン、北京で腓骨を骨折しスタートに遅れたロッキだが、彼はパンデフとサラテなどを擁し11試合で21得点を決めている最強攻撃陣のレギュラーを取り戻すために闘士を燃やしている。先週には筋肉の問題なども抱えていたが、ビアンコチェレスティのナンバー18のデルビーへの欲求にはどんなケガも関係ない。「今の時点ではラツィオの方がローマよりも良い状態にある。でも主審がキックオフのホイッスルを吹けば歴史など関係ない」。トミー・ゴールは自らが主役となる歴史が作られることを望んでいる。(ANSA)