・ムッツィ「すぐに再びラツィオに戻る」
セリエA335試合93ゴール。これはロベルト・ムッツィの成績だ。元ラツィオのFWは現在レーガ・プロのパドヴァに所属している。「パドヴァからは良い処置を受けていない。俺はもうパドヴァのプロジェクトに属していないってことになって、クラブからは除外されたんだ。彼らは俺に対して1年間はトップチームの見習い人を務め、その後下部組織の監督として3年契約を結ぶことを提案してきた」。彼の心のチームはラツィオであり、彼は将来ラツィオに帰ることを望んでいる。「つい最近イリ・ターレと話して、彼は『ローマには常に君の場所がある』と言った。本当にありがたいよね」。
ムッツィはロティート会長の下ではわずか1年だけ過ごしている。「7月にロティート会長と会った。そのときラツィオはアウロンゾでキャンプをしていたよ。俺たちは対話し、普通にジョークも言い合った。俺と彼の間には美しい関係がある」。
監督になることを望んでいるムッツィはサラテを批評した。「俺にとってはサラテはサプライズではなかった。夏にラツィオvsパドヴァの親善試合があって、そのとき初めてサラテを見たよ。彼には素晴らしい素質、テクニック、シュートがあるし、その持ち味を開幕からの2試合で既に示している。俺から見れば彼は中央でプレイするタイプのFWだ。パンデフ、ロッキの傍でセンターフォワードとして非常に良いプレイを見せられるはずだ。この3人はすごいトリデンテになるよ。ウディネーゼよりも優れている」(teleradiostereo)




・友人同士のブラジル人
サンシーロでの特別な試合。この試合がラツィオにとって重要な挑戦となることは周知の事実だが、この試合はマトゥザレムにとってもロナウジーニョと再会する大事な機会となる。
マトゥザレムとロナウジーニョは一緒に成長してきた。この二人はU-16〜U-20代表で共にプレイし、両者とも将来を嘱望されていた。1997年、ブラジルがU-17W杯で優勝したときのガーナとの決勝戦で彼ら二人は違うレベルにあるパフォーマンスを披露した。そしてロナウジーニョは誰もが名を知るスターとなり、一方のマトゥザレムはイタリアへと旅立った。
現在のところ今シーズンはマトゥザレムがロナウジーニョよりも優勢に立っている。マトゥザレムがラツィオで驚きを与えている一方で、ロナウジーニョは本領を発揮できていないのだ。マトゥザレムが大事を取ってサンプドリア戦を欠場した本当の理由はロナウジーニョとの再会を果たすためだったのかもしれない。 
昨日フォルメッロで行われたテストマッチで、ビアンコチェレスティのブラジル人はラツィオの中心としてプレイした。ロナウジーニョとマトゥザレムはボールを触ってこそ本領を発揮するタイプだが、スタイルは異なる。ミュージックでもマトゥザレムがGospelを好んでいる一方でロナウジーニョはHi-popを好んでいる。(Messaggero)




・ミラン-ラツィオ、戦いの歴史
タブーのスタジアム。ラツィオはサンシーロでのミラン戦ではほとんど勝利していない。サンシーロでのミラン戦はこれまで65試合戦っているが、そのうちの38試合がミランの勝利、18試合が引き分け、ラツィオの勝利はわずか9試合というものとなっている。最も気がかりなデータは最後に勝利した試合がはるか昔のこととなっているものだろう。ラツィオが最後にサンシーロでミランに勝ったのは1989年9月3日の試合で、マルディーニのオウンゴールによる1-0というスコアのものだった。当時のラツィオには若き日のディカーニオが居た。これほど長い間勝利していないのは驚くべきものとも言える。
サンシーロ、ロッソネーロというタブーは2000年にスクデットを獲得したラツィオにとっても致命的なものであった。99-00シーズンのカンピオナート22節。2つのPKによるボバンのゴール、残り6分の時点で決まったシモーネ・インザーギのシュート。結果は1-2の敗戦だった。ちなみにラツィオが初のスクデットを獲得した74年はサンシーロでミランに勝利している。
もう1つの成功は30年前までさかのぼる必要がある。77-78シーズン、ロヴァーティ率いるラツィオは2-0で勝利した。また、それからさらに12年前となる65-66シーズンも2-0で勝利を収めている。
ロッシ監督の新たなラツィオは現在勝ち点ゼロとなっているミランを相手に、必死に勝利を目指すことになる。フォルメッロのグループは信じている。18年の時間を経て、ビアンコチェレスティはもう1度サンシーロに勝つ準備ができているのだ。(Leggo)