☆ティフォージを熱くさせるレデスマ
1982年9月24日生まれのレデスマは誕生日と同じ24の背番号を背負ってプレイしている。
レデスマは18歳の時にD'Ippolito代理人の招待によりイタリアへ渡った。その後はウディネーゼ、パレルモ、コモ、キエーヴォの練習に参加したが、正式な契約に辿り着くことはできなかった。しかしイタリアでさまよっていたレデスマはその後レッチェと契約を結ぶことになった。これがレデスマにとって大きな転機だった。
2006年、デリオ・ロッシ監督はレッチェで注目を浴びるプレイを見せていたレデスマの獲得を熱望し、移籍が実現した。新聞上ではレデスマは全くタイプの異なるリヴェラーニの代役として見なされ、ラツィオでのスタートは非常に難しいものとなっていた。しかしローマデルビーで不調を払拭すると一躍ラツィオにとって代えの利かない存在へと登り詰めた。
普段のクリスチャンは音楽を聴き、本を読み、同じアルゼンチン出身のスカローニと食事を楽しむことを好んでいる。家では妻のマルタ、生後2ヶ月のダニエルと共に父親として暮らしている。
クリスチャンの大きな悲しみはアルゼンチン代表に召集されないことにある。「ラツィオはアルゼンチンでも有名なクラブだ。代表に選ばれることは夢だよ」。
最後にデルビーでのゴールについては次のように語った。「僕をイタリアに連れて来てくれたD'Ippolito代理人は苦しい時も僕を支えてくれた。でもゴールで敗戦を避けることはできなかった」。(Messaggero)




☆多数のクラブが興味を寄せるレデスマ
レデスマとラツィオの契約は2011年に満了する。現在レデスマは50万ユーロの年俸を稼いでいる。
レデスマには昨シーズンの時点からスペインの重要なクラブが興味を示しており、特にセヴィージャは魅力的なオファーを提示した。またレアル・マドリード、ヴァレンシアもレデスマに興味を示し、追跡を行った。
ラツィオはレデスマの放出を拒んでいるものの、毎シーズン終了する際にあらゆる会談に直面しなければならない。ロッシ監督の戦術にとって非常に重要な存在であるレデスマを放出することは受け入れることのできるものではないが、レデスマがラツィオのメルカートにとって大きな存在となる可能性はないとは言えない。メルカートでの価値を2倍に上げたレデスマはロティート会長に年俸修正を依頼することになるかもしれない。(Messaggero)