☆クリスティアン・レデスマ 記者会見
「僕のために、この重要な一日に参加してくれてありがとう。本当にたくさんの人に集まってもらったけれど、ここにいる皆さん一人ひとりは、僕がこのユニフォームで戦ってきた9年間の何かを代表していると思う。将来もまたここに来るから、“この街では”という話はしないよ」。
「これが終わりだとは考えたくない。最も重要なのは、ローマで熱い9年間を過ごしたこと。そして、ここにいるこれらすべての人々の存在が、僕にとって最も重要な勝利だ。僕はそう思っている」。



-このユニフォームでの一番の思い出は?
「すべてが温かい思い出だよ。8ヶ月ほど除外されてから復帰したことも、アークィラでの最初のデルビーと同じように重要な思い出だ。僕は、常に自分が正しいと思う方向に進もうとしてきたからね。一番美しい記憶は、ラツィアーレの人々が示してくれた愛情だね。これはデルビーでのゴールやコッパ・イタリアよりも素晴らしいものだ。誰かが“人間として君を賞賛したい”と話してくれることは、トロフィーと同じだよ」。



-ロティートとは話しましたか?
「29日に話をしたよ。それから、今日もね。彼とはクラブについて話し合った。そして、僕はいつも通り正直に、自分のしたいことを伝えたよ。会長とは言いたいことをハッキリと言い合う関係だったし、彼には感謝している。大事なのは日数ではなく、とにかく話すことなんだ。僕は、もう1年ここで過ごすことはできなかった。僕はピッチが恋しくて、プレイしたいんだ。彼は僕に敬意を持ち、僕を理解してくれた。僕は、昨シーズンは自分にとって難しいものだったと伝え、これを続けることはできないと話した。テクニカルな面での考慮がなかったんだ。ただ、これは批判ではないし、これが人生なんだ。僕に起きたことは、この9年間のなかで他の選手にも起きてきたからね」。



-ナンバー24は誰に与えますか?
「僕はマルディーニでもなく、バッジョでもない。選手であれば、誰もがこのナンバーを背負う権利がある」。



-318試合のなかでの一番の喜びは?
「一番強い記憶は、レアル・マドリードを相手にした試合でピッチに向かう途中のことだね。それから、最初のデルビーのときにシヴィーリアとザウリから“心配するな。試合が始まれば、アイツらは髪の毛を逆立たせるだけだから”と言われたこともだね」。



-ロティートとは契約更新は話さなかったのですか?
「No,彼は戦力を若返らせようとしていたし、給料も減俸することになると言っていた。昨シーズン、僕はほとんどプレイできなかったけれど、チームのトップクラスの条件を受け取っていたからね。彼はハッキリとは言わなかったけれど、もしも契約を更新していたならば、給料は大幅に下がっていただろう。ただ、問題はお金じゃないんだ。たとえ給料が変わらなくても、僕はここには残らなかった。32歳になった現在、僕が求めているのはそこじゃない。僕らは、お互いにとって良い解決を見つけるために一部の犠牲を払ったんだ」。



-繋がりの強い選手、監督は?
「一人を答えることはできない。コラロフ、ロッキ、スカローニ、ゴンザレスなど、多くの選手と素晴らしい関係にあるよ。監督はわからないけれど、デリオ・ロッシとはラツィオで共に過ごす前から関係があったし、レヤにはローマでの二度目の時間のときに愛着を持っていた。ペトコヴィッチとも良い関係にあったね」。



-ラツィオとのこの愛は、いつ爆発したのでしょうか?
「契約を更新したあとに、人々からの愛情が大きくなってきた頃だね。ピッチに立てなかった時期に、人々からの支持が大きくなって、このカラーは僕の運命だと確信したんだ。ものすごい愛情を感じて、あの8ヶ月で僕はラツィオに残らなければいけないと思ったんだ」。



-契約更新のときの話をお願いします。
「ロティートとは常に契約のことを話していた。契約を更新した直後に僕や代理人が話したことを除いて、いま言えることは、僕はロティートに対して“ここに残りたい”と話したこと。そして、彼が僕を望まないのであれば、ここから去るとも付け加えたんだ。そして、僕らは5分で契約を結んだ」。



-ラツィアリタについて、あなたはどう説明しますか?
「毎日のように心を奪われるものさ。僕が学んだのは、ラツィアーレは最初は疑り深いけれど、苦しい暗黒の時期にはすべてを与えてくれるということ」。



-ターレとはどのような関係にありますか?また、クラブでの将来はあるのでしょうか?
「ターレとは選手としても経営陣としても特に関係はなかった。個人の関係はなかったね。ロティートは、僕の将来に対して、ラツィオのドアは開いていると言ってくれた。僕の夢は、子供たちを指導することだよ。将来はどのようになるだろうね」。



-目を閉じて、ラツィオの何が浮かびますか?
「昨シーズン開幕前に監督と話したとき、厳しいシーズンになると思った。僕は若手ではないから、仕組みはもう知っているし、状況は理解できたよ。それから、数ヶ月過ごした段階で、これをもう1年続けることはできないと感じた。目標がなければ、トレーニングはできない。選手にとっての目標は試合に出ることだ。トレーニングでは常に100%を与えたけれど、これは僕の目標ではなかったし、試合でプレイできないなかで刺激を見つけるのは難しかった。僕は1年間に45試合戦うことに慣れていたんだ。もしも、いまの自分が36歳だったならば、ここに残っただろう。今まで、そのようにして残留したチームメイトは何人も見てきた。でも、僕はそうじゃない。穏やかではなかったんだ。もちろん、ここでキャリアを終えたかったし、それが夢でもあったから、少しの苦さがあるよ。ただ、人々からの愛情だけが、僕の幸せではないんだ」。



-イタリアの別のクラブでラツィオと戦うことはないのでしょうか?
「別の街、別のユニフォームと出会うことは非常に難しいね。不可能ではないし、家族と共にローマの近くに残ることを決意することもあるかもしれない。いまは何も言えないよ。ただ、子供たちには国外を経験してほしいんだ。それは、彼らの成長につながるからね」。



「多くの友人と出会うことができたし、今夜のこの出来事は最も美しい勝利だ。9年間、ここでサポートしてくれた家族には心から感謝している。僕らにとって、ラツィオは心の街だし、また会いましょう。Forza Lazio, sempre!」。