-シモーネ・サンタレッリ (La Lazio siamo noi.it 01/12) 
-あらゆる少年の夢、それは自分の心のチームでプレイすることだ。パタルーカによってラツィオに到着した1998年から、シモーネ・サンタレッリ(’88)は深い夢を見始めた。ここからトップチームへの歩みをスタートしたサンタレッリは、U-17代表では最高のGKの一人と考慮されていた。
-2009年夏:21歳の若手だったサンタレッリに、PSGからの呼び出しが到着した。「パリでのトライアルが終わって、契約を締結する運びとなった。PSGは35万ユーロの移籍金を用意してくれて、これなら交渉も成立すると確信してイタリアに帰ったんだ。1週間後には会長と話をしたのだけれど、そのときに、会長はPSGに対して100万ユーロを要求したこと、交渉を拒絶したことを知ったんだよ。その後、仲介役になっていたマルコ・シモーネと話したけれど、PSGは20歳そこそこの若手にそのような移籍金を提示する準備はできていなかった。その次にはアレッツォからの共同保有のオファーが届いたけれど、それも拒絶された。会長は、セリエCのクラブにとっては決して小さくはない15万ユーロの移籍金を求めたんだ。ランチャーノやレニャーノに対しても同様だった」。サンタレッリはそのままラツィオに残されることになった。「ムタレッリ、ザウリ、シモーネ・インザーギと一緒にプリマヴェーラのセセーナ監督やグイド・ナンニ・トレーナーによるトレーニングを受けていた。ただ、会長との間には問題はなかったし、むしろ素晴らしい関係を築いていたよ。僕とデ・シルヴェストリは、16歳だった頃に時計をプレゼントされたりもしたんだ」。
-フォッジャ:ラツィオとの関係を終えたサンタレッリは、ゼーマン率いるレガ・プロのフォッジャへ移籍した。「僕のキャリアにとって、ゼーマンは本当に重要な人物だった。彼のような監督はほとんど見たことがないよ。彼はジョカトーレとして、そして人間としても僕を成長させてくれた」。
-将来:「現在、僕はフリーの身となっている。イタリアに残りたいから、国外からのオファーは拒絶したよ。セリエCのチームを待っている。そして、失われた時間を取り戻したい」