・さらばステンダルド(La Lazio siamo noi.it)
2005年8月27日、オリンピコでのラツィオでのデビュー戦、相手はメッシーナ。当時のビアンコチェレスティはデリオ・ロッシが率いていた:前半21分、ゴラン・パンデフがゴールを決めて、1-0で勝利。試合終盤、この夏にラツィオへ加入してきた彼は、ラツィアーリティフォージの心に入り込んだ。ペルージャからラツィオへやってきたばかりの24歳のグリエルモ・ステンダルドは、試合後にクルヴァ・ノルドの下で両手を広げて歓喜した。このジェスチャーは、彼の驚異的な情熱を表していた。
即座に相手FWにとって不快な厳しいDFとなったウィリーは、セットプレイからゴールを決める才能にも長けていた。ビアンコチェレステ初年度は21試合に出場し、アウェイのアスコリ戦で1ゴール。2006/07は24試合で3得点を決めた。さらにその翌年は、特別なシーズンになった。calcioscommesseによる勝ち点マイナスのスタートから、CL出場権獲得。CLでは予備予選を含めて主役としてプレイした。しかし、レアル・マドリード戦でスタメンから外されたことがキッカケで、デリオ・ロッシとの関係に亀裂が入ってしまう。そして、1月にラツィオと最初の決別。半年間ユヴェントスへ向かい、2008/09はレッチェへ。 
ローマに戻ってきたのは、09年の夏。ビアンコチェレステのベンチにダヴィデ・バッラルディーニがやってきてからだった。だが、ゴラン・パンデフやクリスティアン・レデスマと同じように、チームから除外された。彼がグループに戻ったのは11月。その後は、チームのセリエA残留に大きな力を与えた。それからは、今年の1月までラツィオのユニフォームで過ごした。
その後のことは、つい最近の話になる。1月、アタランタのマリーノDSは6ヶ月間のレンタル移籍でステンダルドを獲得した。南部出身のステンダルドは、“厳しい戦士”気質のお陰で、アタランタの“ノルド”のティフォージのハートも掴み取った。これを経て、今夏ウィリーは、アタランタとの3年契約にサインするために、ラツィオとの契約を解除した。
“今までも他クラブへのレンタル移籍でラツィアーリティフォージに挨拶をしたことがあったけれど、驚異的なティフォージ、世界で最も美しいロマーニに挨拶したい。この素晴らしいカラーへの思いは、本当に強いものがあるよ。ラツィオ-レアル・マドリードのあの素晴らしい夜の出来事は決して忘れられない。また、偉大なるティフォージ、親愛なる友人ガブリエレの死への怒りと痛みも。Suor Paolaの子供たちも、いつだって僕のハートに残っている。すべてのラツィアーリが、期待された目標を達成し、満足感を得られるよう祈っているよ。Guglielmo Stendardo”