☆アレッサンドロ・ネスタ
・1976年
・ローマ出身
・DF

<寸評>
巧い、速い、強いという全てが揃った最高のCB。ラツィオ下部組織で育ち、早くからその才能には注目が集まっていた。ラツィオの下部組織に入団する前にローマからも声が掛かったが、父親の影響でラツィアーレとなっていたネスタはこれを拒否した。ラツィオの下部組織ではMFなどでプレイし、多くのポジションを完璧にこなし、監督がネスタをどのポジションで起用すべきか迷うほどであったという。そして17歳でセリエAデビューを果たした。デビュー当時は左SBだったがその後CBに転向した。そしてその後もネスタは順調に成長しアズーリ入りも果たした。97−98シーズンにはコッパイタリア決勝ミラン戦で優勝に導くゴールを決め(結果は第一戦がミラン1−0ラツィオ、第二戦がラツィオ3−1ミラン)クラブに74年のスクデット以来のタイトルをもたらす事に貢献した。だがその直後迎えた1998フランスW杯ではオーストラリア戦でヒザに重傷を負い、98−99シーズンの序盤の欠場を余儀なくされてしまった。その影響もあったのか、大型補強を行いスクデット候補にも挙げられていたラツィオは低迷してしまう。しかしこのシーズンからキャプテンに任命されたネスタが復帰すると共にラツィオも調子を上げ一気に首位に躍り出た。だがラツィオは最終的には2位に転落しスクデットを逃してしまった。
99−00シーズンはネスタにとって忘れられない1年となった。1月のメルカートでアトレチコ移籍が取り沙汰されるなどの騒動もあったが、ラツィオは27年振りにスクデットを獲得した。だがこの頃からネスタの周りには移籍話がつきまとうようになった。時にはレアル・マドリード、時にはユヴェントス、時にはインテル…。それでもネスタはラツィオに残留した。しかしクラニョッティ・ラツィオにとって最悪のシーズンとなった01−02シーズン後、ネスタはついにラツィオのユニフォームを脱いだ。ラツィオは財政悪化によりリーグ登録も危ぶまれていた。そのためネスタを売却せずには居られず、2002年8月31日、約36億円でのミラン移籍が決定した。ラツィアーレはネスタが移籍を拒否する事を望んだ。だがネスタは「僕が移籍すればラツィオは助かるんだ。わかってほしい」と語り、ミラン移籍にサインした。ラツィアーレはこのネスタの行動を`裏切り'と受け止めた。
そして02−03シーズンの第4節、ネスタはミランの一員としてオリンピコへ帰ってきた。ラツィアーレはネスタに対し強烈なブーイングを浴びせた。
その後、ネスタはミランでスクデット、CLといったタイトルを手にしており自身のキャリアを一段と輝かしいものにしている。最近、一部でネスタのラツィオ復帰が取り上げられたが真相はわからない。ただ多くのラツィアーレはまだネスタの復帰を待ち望んでいる。ディカーニオのようにいつかラツィオに戻ってくる事を期待したい。
元ラツィオのファヴァッリ、ディヴァイオ、アルメイダとは大の仲良し。

シーズン    クラブ    試合   得点  カテゴリー
93−94   ラツィオ      2    0      A
94−95   ラツィオ     11    0      A
95−96   ラツィオ     23    0      A
96−97   ラツィオ     25    0      A
97−98   ラツィオ     30    0      A
98−99   ラツィオ     20    1      A
99−00   ラツィオ     28    0      A
00−01   ラツィオ     29    0      A
01−02   ラツィオ     25    0      A
02−03   ミラン      29    1      A
03−04   ミラン      26    0      A
04−05   ミラン      29    0      A
05−06   ミラン      17    0      A

☆獲得タイトル
・ラツィオ…スクデット(99−00)、コッパイタリア(97−98、99−00)
       イタリア・スーペル・コッパ(99、00)、カップ・ウィナーズ・カップ(98−99)
       ヨーロッパ・スーパーカップ(99)
・ミラン…スクデット(03−04)、コッパイタリア(02−03)、イタリア・スーペル・コッパ(04)
      チャンピオンズリーグ(02−03)、ヨーロッパ・スーパーカップ(03)

☆マルコ・ディヴァイオ
・1976年
・ローマ出身
・FW

<寸評>
スピードに乗ったドリブルからの豪快なシュートが得意のストライカー。ディヴァイオが頭角を示し始めたのはサレルニターナ時代で、97-98シーズンにセリエBで21歳の若さで得点王を獲得した。そして翌年はセリエB降格を喫したサレルニターナの中で一人気を吐き、1年で2度のハットトリックを記録した。そのプレイにはミランや若い頃過ごしたラツィオといったクラブも目を付けたが、最終的には約12億円でパルマへ移籍する事が決定した。パルマでは1年目こそ出番に恵まれなかったが、00−01シーズン、監督がマレサーニからウリヴィエリなどに変わってからスタメンを確保し、ゴールを量産した。この頃にもディヴァイオにはラツィオ移籍の噂が出ていたが、結局実現しなかった。そしてその翌01−02シーズン、パルマはセリエB降格の危機に瀕していた。それでもディヴァイオはパルマ唯一の光となっていた。またこのシーズン中にもパサレラが監督に就任した際にラツィオのクラウディオ・ロペスとのトレードが浮上したが、実現には至らなかった。このシーズン、パルマは最終的にセリエA残留を決め、ディヴァイオもセリエA自己最多の20ゴールを挙げた。そしてオフに入るとディヴァイオの元にはインテル、ユヴェントスといったクラブからオファーが届いた。だがなかなか決まらずディヴァイオはパルマに残留すると見られていた。しかしその後、急遽ユヴェントスへの移籍が決定した。ユヴェントスでの1年目は馴染むのが遅れ、最終的には11ゴールを挙げたものの物足りないシーズンとなった。しかし2年目はスーパーサブ的な役割だったが重要な場面でゴールを決め再び評価を高めた。そしてシーズン後、突如ヴァレンシアヘの移籍が決定した。ヴァレンシアでは1年目はそこそこの成績を収めたが、今シーズン、監督が代わってから出番が激減した。そして1月になり買取オプション付きのレンタルでイタリア人のグイドリン監督率いるモナコへ移籍した。だがモナコでも状況は良好とはいえない。モナコ移籍後にディヴァイオ本人は「まだラツィオでプレイすることを夢見ているのは事実だ」と語っておりラツィオ復帰の可能性もゼロではないかもしれない。

シーズン    クラブ    試合   得点  カテゴリー
93−94   ラツィオ      0    0      A
94−95   ラツィオ      8    3      A
95−96   ラツィオ      0    0      A
95.11月  ヴェローナ     7    1      B
96−97   バリ       27    3      B
97−98   サレルニターナ  36   21      B
98−99   サレルニターナ  30   10      A
99−00   パルマ      23    6      A
00−01   パルマ      27   15      A
01−02   パルマ      33   20      A
02−03   ユヴェントス   26   11      A
03−04   ユヴェントス   29   11      A
04−05   ヴァレンシア   30   11      A
05−06   ヴァレンシア    5    0      A
06.1月   モナコ       3    1      A

☆獲得タイトル
・サレルニターナ…セリエB得点王(97−98)
・ユヴェントス…スクデット(02−03)、イタリア・スーペル・コッパ(03)